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2013年8月 1日 (木)

183 上原選手の背番号が19番である理由

メジャーリーグ、ボストン・レッドソックスの上原浩治投手、今年も活躍中である。首位を走るチームのクローザーという大役を引き受けている。

上原選手の輝かしい経歴については、「Yahoo!スポーツ MLB - 上原浩治」を見てください。

この上原選手、巨人に在籍したときの背番号は19番。そして、現在のレッドソックスでも19番をつけている。

なぜ上原選手は19番をつけているのか。それは自分の19歳のころを忘れないようにしているためである。

19歳の時に、上原選手に何があったかというと、実は大学受験に失敗して、浪人して受験勉強をしていたのだそうだ。

実は上原選手、プロになってからの輝かしい実績に比べて、高校生の時はそれほど注目されていたわけではない。

寝屋川市の公立中学校を卒業した上原選手は、自宅から近くの、スポーツの盛んな東海大学付属仰星高校に進学した。

高校時代の上原選手は、控えのピッチャーで、公式戦で投げたのは3試合だけだった。同学年に、後に日本ハムで活躍する建山義紀選手がいたからだが、上原選手自身にもあまりポジションにこだわりがなかった。

高校卒業後はプロになりたいとは思っていなかったが、野球を続けたい思いは強かった。そこで、大学に進学することにした。大学は大阪体育大学を目指した。

大阪体育大学にした理由は、家計を考え、実家から通えるということ、そして推薦入学の枠があったからだった。野球ばかりで勉強などまったくやっていなかったのだ。

ところが、チームメイトの一人が、急に大阪体育大学の推薦を願い出てしまった。このチームメイトの方が学校の成績がはるかにいい。

推薦枠からはじかれた上原選手は、一般入試で受験するが、結果は不合格。

上原選手は浪人することにした。そして後に、この一年間の浪人生活をこう語っている。

私は本当に死に物狂いで参考書と首っ引きになり、問題集と格闘した。それこそ過去の十八年分を一気に取り戻すつもりで、机にかじり付いていた。間違いなく、あの一年間が人生で最も真剣に勉強したと断言できる。(※1)

この一年間、上原選手は野球も封印した。硬式ボールを触ることもなかったが、週三回スポーツジムに通って体作りに心がけた。

そして、翌春、上原選手は再チャレンジした大阪体育大学に合格する。

しかし、普通に考えれば、一年間浪人生活を送るというのは、スポーツ選手にとっては特にマイナスであろう。

上原選手が浪人生活を送っている間に、同学年の高橋由伸選手や川上憲伸選手たちが、進学先の大学で頭角を現している。

しかし、このあせりにも似た感情を、上原選手は大きな力へと変えていく。「自分も追いつけるように頑張らなければ」というモチベーションにつなげたのだ。上原選手はこう語る。

受験に失敗することなく、すんなり大学へ進んでいたら、上原浩治の人生は全く違っていたことだろう。同い年で活躍する選手へ、対抗心も燃え上がらなかっただろう。(※2)

「何、くそ」という心の大切さを学んだのが、この19歳の浪人時代にであるというのだ。上原選手はこう述べる。

浪人時代の一年間こそ、上原浩治の礎であり、人生の要である。私は十九歳のこの年を生涯胸に刻みつけるために、プロ野球選手になって背番号「19」を背負った。(※3)

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(※1)『闘志力。』上原浩治・三省堂

(※2)同書

(※3)同書

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