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2012年12月

2012年12月21日 (金)

175 なりきる!!

石井裕之さんというセラピストが講演会でこんなことを話していた※(1)。

石井さんがサラリーマンだった頃、一緒に勤めていた女性に恋をしたそうだ。

でも、その女性は石井さんのことは全然気にかけていなかった。

そんなある日、石井さんは、そのあこがれの女性と外回りの仕事に出ることになり、二人きりで車に乗ることになった。

石井さんは、いろいろと話しかけてみるのだが、彼女はそっけない。空回りしているぎこちない空気が車の中を支配している。

せっかくのチャンスがしぼみかけているそのとき、石井さんは次のように思ってみたそうだ。

「今、すでに自分はこの人と付き合っているんだ。恋人同士なんだ」と。そう思い込むようにした。そして、すでに恋人同士であるかのように話しかけたりしてみたそうだ。

すると、どうだろう。あれだけきごちない雰囲気の車内が、しだいに打ち解けた感じになっていったそうだ。そして、この一日で彼女と仲良くなり、本物の恋人になったそうだ。

石井さんの話を聞いたとき、私はある生徒のことを思い出した。陸上部の顧問をしているときに出会ったA君である。

中学校に入学して、陸上部に入ってきたA君はどちらかというと小柄な少年だった。そして、なぜか両手の中には、ずっしり重い5㎏の砲丸があった。片手で持つのもつらそうである。

「先生、僕、砲丸投げやりたいんです!!全国大会へ行きます!!」

私はというと、心の中では「そりゃ、全国大会は無理だよ。普通の大人以上の体格と筋力とスピードが必要だよ。君の身体じゃ無理だ。」とは思いながらも、「そうかあ!!がんばれよ!!」と答えた。

1年生の彼が、重たい砲丸を投げると、すぐそこに「ボテッ」と落ちる。全国は遠い、遠い。

彼は毎日練習に励んだ。「先生!!全国へ行きます!!」「そうかあ!!」、そして「ボテッ・・」。

いつまでたっても、「先生!!全国へ行きます!!」「そうかあ!!」「ボテッ・・」。

A君は中学2年生になり、3年生になった。体が少しずつたくましくなり、記録も少しずつ伸びていった。そして中学3年生のとき、とうとう県の選手権で表彰台に上り、地域大会へ出場するまでになった。地域大会というのは、例えば東北大会、関東大会、近畿大会などの大きな大会である。さすがに全国大会は無理だったが。

今思えば、A君には他の選手とは違う一面があった。彼は中学1年の終わり頃から、学校の体操服ではなく、陸上競技ウエアで部活の練習をしていたのだ。そして、「ボテッ・・・」のころから、すでに足には「投擲シューズ」という砲丸投げ専用の靴を履いて練習していたのだ。陸上部に入っている人は分かると思うが、中学校のうちは、砲丸投げをする選手でも、専用の靴を買って履く人は少ない。

砲丸を投げても、すぐそこに「ボテッ」と落ちる、そんな選手だったけど、陸上競技ウエアを着て、専用のシューズを履いている彼のハートは、すでにいっぱしの陸上競技選手だったのだ。

そして、いつの間にか「ドーン!!」と発射された砲丸が、「ズドーン!!」と地面に落ちる、そんな選手になっていったのだ。

セラピストの石井さんも、陸上部のA君も、現実はどうであれ、「なりきる力」、「演じる力」の偉大さを教えてくれる。私も見習いたいけど、なかなかこれが難しい。すぐに現実が頭をよぎり、「どうせ、ダメだろう」と思ってしまうのだ。

デール・カーネギーという、アメリカで多くの成功者の人生を研究して、多くの本を書いた人がこんなことを言った。

本当に勇気があるかのように振舞う。こうすれば元気が出てきて、「自分だってあれくらいのことはできるのだ」という気になるから妙だ。

石井さんやA君のようにはできなくても、この言葉は実践できるかな、と思っている。
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※(1)『人生を変える!「心のブレーキ」の外し方』DVD版

2012年12月20日 (木)

174 新庄選手のグラブ

君たちは新庄剛志というプロ野球選手を知っているだろうか。端正な顔立ちと派手な振る舞い、そして攻走守の三拍子そろった有名な選手だった。阪神、米メジャーリーグ、そして日本ハムで活躍した。

ウィキペディアには「一般的な野球選手のイメージとはかけ離れた高いタレント性とショーマンシップ、奇抜な言動で知られる。」とあるように、華のある、注目を集める選手だった。敬遠のボールを打ってサヨナラヒットにしてしまったこともあるし、1イニングに満塁ホームランを2回も打ったこともある選手だ。

ついこの間、そんな新庄選手に関するコラム記事を見つけた。以下、少し引用する。

日本ハムなどでプレーした新庄剛志さんは、福岡・西日本短大付高から阪神に入団した際に7500円で買った外野グラブを、2006年の引退まで17年間愛用。「商売道具を大切にしろ」という父・英敏さんの教えを守って補修を重ね、英敏さんが昨年亡くなると、ひつぎに入れてささげた。(12月18日読売新聞・スポーツ面)

新庄選手というと、派手なイメージがある。普段もブランド品で身を固めていそう。使っている道具もそうとう高そうだが、実は7500円のグラブをずっと修理しながら使っていたんだなあ。

ところで、いくらなんでも7500円は安過ぎると思った人もいるだろう。私も息子が中学校の野球部(軟式)で使うグローブを買いに行ったとき、1万円ぐらいの物を買った記憶がある。その値段でもそんなに高級な価格帯ではなかったのを思い出した。

いくら何でも硬式野球の、それもプロが使うグラブが「7500円」は、本当かなあと思ってネットで調べてみた。

すると、福岡にある、プロ用のグラブを作っている会社が、地元出身のプロ相手ということで、ほとんど原価に近い価格で新庄選手に売ったのではないか、ということだった。

実際のグラブの価格はもっと高いのだろうけど、父親の教えを守り、17年間大切に一つのグラブを使い続けたこと自体、すごいことだと思うし、新庄選手のイメージを勝手に作っていた自分にも気がついたのである。

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