« お知らせ | トップページ | 163 もうこんなに月日がたったのか »

2011年11月 8日 (火)

162 「25の後悔と25の目標」①

以下は、これからやってみたい道徳の授業の主に「語り」を中心とした授業のシナリオです。何度かに分けて掲載します。参考文献は『死ぬときに後悔すること25』(大津秀一著)と『死ぬまでに達成すべき25の目標』(中嶋 秀隆 ・ 中西 全二著)です。

 

この数字は何を表していると思う?ちょっと考えてみよう。

bunnsuu

ヒントは「今日」だ。

 

答えは、今日が、君たちが中学校3年間に登校する日数586日のうち、今日が511日目だということだ。

 

今は2学期の半ばだけど、こうやってみると卒業も近いなあという感じがする。それどころか、冬休みが終わると、いろいろ受験などでバタバタして1月2月3月はあっという間に過ぎてしまう。

 

さて、そんな今、少し早いかもしれないが、中学校生活を振り返ってみよう。君はこの3年間を振り返って、何か後悔することがあるか?

 

もし、あれば手元の紙に、どんなことを後悔しているかを書いてみよう。

どんなことを書いた?なに、なに?「勉強をもっとがんばっておけばよかった」?そうかあ。そうだよなあ。

 

君は?「部活の練習にもっと真剣にがんばれば良かった」か?ああ、そうかあ。

 

じゃあ、私自身が中学校生活を振り返って、どんなことを後悔しているかを話してみよう。

 

恥ずかしいが、たくさんある。

 

結局、何をしても中途半端だったこと。

部活も途中でやめた。やめなければならない状況を自分で作り出した。
「すみません、もう一度チャンスをください」と言って、歯をくいしばってでも部活に残る道はあったんだけど、それからも逃げた。

 

部活だけではない。何をやっても中途半端に終わっていた。

 

周りの目を気にしていたんだなあ。冷静に考えれば、オレのことなんかみんな気にしてはいないのになあ。 人は自分のことが一生懸命で、そんなに人のことを気にしていないっていうことが分からなかったんだなあ。

 

自分が何をやっても、人よりうまくできないので、「こんなの、やってられっかよ」というポーズをとっていたんだ。

 

だから、本当は一生懸命何かに打ち込んでいる友達がうらやましかったんだ。

 

こんな自分だから、両親には情けない思いをいっぱいさせたなあ。中学時代の私を育てていて、両親は楽しいことなんか一度もなかったろうなあ。これも後悔の一つだ。

 

友達づきあいだってそうだ。クラスに気が合う友達がいないときは、堂々と一人でいればいいのに、「あいつ、友達がいないんだ」と思われるのが嫌で、あまり好きではない人と一緒にいたりしたなあ。

 

と、まあ私自身の中学校時代の後悔をしゃべってきたけど、さっき、「もっと勉強しておけばよかった」と思った君、それは本当かあ?

 

そう後悔しているってことは、今、すごく勉強がんばっているってこと?入試が近づいて勉強を一生懸命にし始めたけど、分からないことがたくさんあって、「ああ、もっと早くから授業に真剣に取り組んでいたらなあ」と思っている人は、それは正直な気持ちだろう。

 

でも、ひょっとしたら、本当に後悔すべきは、「周りに流された自分」かもしれないし、人目を気にして一生懸命になりきれなかった自分かもしれない。一度決めたことが守れない弱い自分だったかもしれない。まあ、それは本人しか分からないけど。

 

さて、私はなぜ、自分自身の中学校時代の「後悔」を、こうやって振り返ることができたのだろうか。

 

それは、私のたくさんの「後悔」があるから、今の私があると思っているからだ。

 

たくさんの失敗や後悔をしてきたから今の私がある。

 

そう考えると、未来がある君たちにとって、後悔することは大切なことだ。いくらでも挽回することができる。そして、成長することができる。

 

でも、いくら挽回したくても、挽回できない時がある。それはどんな時だろう?

 

それは「死を直前にしたとき」だ。

 

私の手元に、「死ぬときに後悔すること25」という本がある。これは、ガンの終末治療の専門家である大津秀一さんという人が書いた本だ。本のカバーには1000人の死を看取った、と書いている。

 

大津さんは、ガンで余命わずかになった人たちは、自分の人生を振り返って、ほとんどの人がいろいろなことを後悔するという。

 

もう挽回することができない後悔って、本当につらいだろう。君たちにはまだ実感はないが、現在日本人の死因の約半数はガンによるものらしい。二人に一人はガンで死ぬ。

 

僕と君が話をしているとすると、僕と君のどちらかはガンで死ぬ。 まあ、統計上はそうなっている。

 

そう考えると、ガンで死ぬ人たちの思いは人ごとではない。余命わずかとなった人たちの後悔から学ぶことは、私たちが一度だけの貴重な一生を送るためにも必要なことではないか。

« お知らせ | トップページ | 163 もうこんなに月日がたったのか »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1419883/42934147

この記事へのトラックバック一覧です: 162 「25の後悔と25の目標」①:

« お知らせ | トップページ | 163 もうこんなに月日がたったのか »

無料ブログはココログ