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2011年6月

2011年6月 5日 (日)

154 ライオン一家の「成功」

昨日の晩、人間や地球の歴史を取り上げた3時間ぐらいの番組(※1)を何ともなしに見ていた。

番組の中で、あるライオンの一家が取り上げられていた。次のようなナレーションが流れる。(記憶を頼りに書いているので、細かいところは不正確でしょう。)

ライオンは猫科で、唯一家族を作って暮らす動物だ。

子育てや狩りは雌の仕事。

母親としっかりものの娘が家族を支える。

このところ、狩りがうまくいっておらず、ライオン一家の小さな子供たちは、お腹をすかせている。

そこに獲物になるシマウマがやってきた。

ライオン一家のチームプレイによる狩りが始まった。

狩りは成功。

ライオンの家族は助け合って生きている。人間の家族と一緒である。

さて、私が何を言いたいか、勘のいい人はわかったかな?

このテレビ番組を見た人は、無意識のうちに、「ライオンが狩りに成功して良かったなあ」と思うようになっている。つまり、この番組がライオンの側からの物語として作られているからだ。

ナレーターの「狩りは『成功』」ということばがそれを象徴している。

でも、ひとたびシマウマの視点で考えれば、これはとてつもない不幸である。それこそもっともっと悲しい物語が考え出せるだろう。ひょっとしたら、母親とはぐれて、一生懸命母親を捜している子どものシマウマかもしれない。そして、どこかで今も一生懸命我が子を探している母シマウマがいるのかもしれない。

いったいだれの視点からものを考えるかで、こうも違ってくるのだ。

この番組では、ライオンの家族がさっきのシマウマを食べている場面が続く。そこへ一匹のハイエナがやってきた。ハイエナは群れで行動するが、このときはなぜか一匹だけ。

ライオンはハイエナをエサとして襲うことはない。しかしこのとき、なぜかライオン家族の一頭が、このハイエナに襲いかかる。

ナレーションはこう続く。

ライオンの子供は、しばしばハイエナに襲われるのである。

これを聞いた私は、「そうかあ、ハイエナは悪いやっちゃのー、襲われてもしょうがないよなー」と思ってしまった。しかし、これこそこのハイエナにとっては降ってわいた災難である。
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(※1)「人間とは何か…わたしと地球の38億年物語~アース・コード~」(2011年6月4日放送)

2011年6月 4日 (土)

153 画家はほめられたいために絵を描くのでしょうか?

以前「100 イチローはスポーツ新聞を読まない」という記事を書いた。自分自身の評価が他人(記者)の評価から邪魔されることを嫌ったからだという内容だった。また、「011 「昨日の自分」と比較する」では、森本貴義さんというスポーツトレーナーの著書から「『結果』を気にする人は、かえって『結果』を出せない」という言葉を紹介した。

昨日(2011年6月3日)の読売新聞の「人生案内」という人生相談に次のような方が、上記の内容に関連するような悩みを寄せていた。

その人は、「自分は人から褒められることに飢えている」というのだ。この人は、自分が褒められて育ち、大人になってからもそれをエネルギーにして役職や賞を得てきた。今、家庭に入り、あまり褒められることがなくなっており、それがつらいのだという。

この悩みに回答している海原純子さんという心療内科医の方の言葉から大きなことを学んだ。

海原さんはこう答える。

ほめ言葉がなくても結構幸せに暮らせるものです。逆にほめ言葉を求めると幸せになれないのです。なぜなら自分の価値を他人の基準に合わせて生きることになるからです。

海原さんは、すばらしい絵を描く画家や、すばらしい曲を作った作曲家が、ほめられるために創作活動に励んだのでしょうか、と問いかける。

皆それぞれ才能に磨きをかけ、他人の評価やお金もうけなど無関係に、必死に努力し身を削って命がけで表現したのです。(中略)ほめ言葉を手放したとき、自分の本当に人生がはじまります。

2011年6月 1日 (水)

152 白紙の答案を出すなら、名前をちゃんと書け!

前回の学級通信(151)では、君は君自身の人生の責任を負っているという話を書いた。

「責任」ということについて、心に残る話がある。

『ゴルゴ13』というマンガを知っているだろうか?世界をまたにかけるスナイパー「デューク・東郷(ゴルゴ13)」の劇画である。私も一時期夢中になって愛読していた。

作者のさいとう・たかを氏は中学生時代、かなりの不良だったらしい。

テストも中学3年間、一度もまともに受けずに、常に白紙の答案を出していたという。(※1)

ところが、ある日、担任の先生からこう言われた。

 

「斉藤、お前が白紙で出すと決めたならそれでいいだろう。しかし、お前は自分の責任において白紙で出すのだから、名前だけはちゃんと書け!」(※2)

 

こういわれた斉藤少年は大変な衝撃を受けたのだそうだ。これをきっかけにして、人間の約束と責任について深く考えるようになったというのだ(※3)。

この言葉の主は東郷先生という。ゴルゴ13の名前の「デューク東郷」という名前も、この先生の名前からきているということだから、このときの斉藤少年の心に与えた影響の大きさをおしはかることができる。

確かに中学校のテストは、斉藤少年にとって意味のないものかもしれない。「こんなものはただのクイズだ。人の能力が分かるわけはない」(※4)と考えたそうだ。

ここからは私の推測である。

斉藤さんは白紙の答案を出し続けていたのだが、東郷先生に指摘されるまでは、つまり自分の名前を書かずに提出しているときは、「こんなテストをさせる学校が悪い」という気持ちが斉藤少年にはあったと思う。

しかし、その答案に名前を書くと言うことは、「確かに学校のテストはつまらない。しかし、それに対して『白紙の答案』で提出するという行為は、他ならぬ私自身が考えて選び取った行為なのだ」という自分の「責任」が付け加わったということではないだろうか。

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(※1)Wikipedia「さいとう・たかを」

(※2)『人生を変える!「心のDNA」の育て方』石井裕之著

(※3)Wikipedia同上

(※4)同

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