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2011年3月26日 (土)

132 「万が一の時が来たら」ではなく、「万が一の時は来る」

『アサヒグラフ』誌に次のような記述があった。

600人の被災者が避難先として身を寄せる陸前高田市立第一中学校などで多くの人の話を聞いた。
「あと30秒、家を出るのが遅かったら・・・」「車で逃げるとき、あそこの角を曲がっていなければ・・・」「たまたま高台のほうへ用事があったので・・・」

津波にのみ込まれた人の運が悪かったわけではない。のみ込まれなかった人の運がよかっただけなのだ。(※1)

そして今日の『読売新聞』の社会欄に次のような記事が載っていた。「『山へ』進言 校舎水没も全員無事」「校務員さん ありがとう」「卒業式で児童感謝」という見出しがついている。

このたび卒業式を迎えた岩手県山田町立船越小学校。全児童176人は、当地が巨大津波に襲われながら、全員無事だった。

校舎が津波に襲われなかったわけではない。二階建ての校舎は水没した。

この小学校はもともと標高13メートルの場所に建っており、津波の際の避難先になっていたという。

今回の地震直後も、日頃の避難訓練通り児童たちは校庭に避難した。

しかし、校務員の田代さんが、海面が膨れあがっていることに気づき、校長先生に「山に逃げた方がいい」と進言した。

そして児童たちはさらに40メートル高い裏山に避難して難を逃れることができた。

ある児童(12)は、「田代さんが『山へ逃げろ』と叫んでくれなかったら、みんな死んでいたかもしれない」と語ったという。

先ほどのアサヒグラフの「津波にのみ込まれた人の運が悪かったわけではない。のみ込まれなかった人の運がよかっただけなのだ。」という言葉が実感される。

それともう一つ。海が膨れあがっていることに気づいた田代さんも偉いが、田代さんは父親から「津波が来たら1メートルでも高いところへ」と言われて育ったのだ。田代さんのお父さんは1933年の昭和三陸地震を経験していたのだ。

この記事を読んで私は思った。「万が一の時が来たら」という仮定形で話をするのではなく、「万が一の時は必ず来る」と考えておかなければならない、と。

田代さんのお父さんが今どうなさっているかは、この記事から知ることはできないが、普段から子供に言い聞かせてきたことが、一番大切なときに役立ったと思われていることだろう。私も家族に「万が一の時は必ず来る」と考えて、いろいろなことや家族間のとりきめを話しておこうと思う。

――――――――――――――――――――
(※1)『アサヒグラフ』東北関東大震災 2011.3.30号

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