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2010年12月

2010年12月31日 (金)

086 バスの中で勉強する選手たち

ハンドボール日本代表監督の酒巻清治さんという方がいる。

彼がある中学校で講演した内容の中に、印象に残ることがある。(※1)

酒巻さんがプロリーグに参加していたときのこと。

試合会場から次の試合会場に移動するバスの中で気づいたことだ。

酒巻さんは、バスの中での暇つぶしにウオークマンで音楽を聴いたり、漫画を読んでいた。

しかし、周りを見ると、ドイツの選手はそんなことをしていない。選手たちは何かそれぞれ勉強しているのだという。

聞いてみると、ある選手はエンジニアになるため、またある選手は教師になるために、バスでの移動時間を利用して勉強しているのだ。

ドイツの選手達は、選手を引退した後の人生設計に対する準備を、もうすでに始めていたのだ。

酒巻さんは中学生に講演会でこの話をして、おそらく人生の目標に対する準備や心構えの大切さについて語ったのかもしれない。

しかし、私はこの前、さかなクンの文章を読んだばかりなので(082 小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まる~さかなクンの文章から)、次のようにも思った。

酒巻さんは、日本という水槽を離れて、ヨーロッパという大海に出てみたから、こういうことに気づけたのかなあ、と。

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(※1)『勝つ! ひと言』山田 ゆかり(著)朝日新書

2010年12月30日 (木)

085 イチロー「僕は自分で『行きたい』とせがんだんですよ」

この学級通信にはよく登場するなあ、と思いながらまたイチローの話である。

イチローが小学生のころから、ほとんど1年間毎日バッティングセンターに通っていたというのは、かなりの人が知っていることだ。

この話がテレビなどで取り上げられるようになってから、野球をやっている我が子をバッティングセンターに連れて行くお父さんが増えてきたそうだ。

立花龍司という人がいる。コンディショニングコーチとして日本人で初めてメジャーリーグ(ニューヨーク・メッツ)に入団した人である。

2001年、立花さんがマリナーズのキャンプでイチローと次のような会話を交わしている。

「日本ではイチローを見習って、子どもをバッティングセンターに連れて行く親が増えているよ。親は自分の子どもをキミみたいにしたいと必死に野球を教えているんだ」 イチローは驚いてこう答えました。 「立花さん、それは間違っています。僕は自分で『行きたい』とせがんで親父につれていってもらっていたんですよ・・・」(※1)

そして、バッティングセンターでもただ漫然と飛んでくるボールを打ち続けていたわけではない。『人が学ぶということ』という本の中に次のように書いてあった。

彼は小学生のころから毎日バッティングセンターに通い、しかもスプリングを目いっぱい硬くしてもらってもまだ物足りず、バッターボックスの外に出てより近い距離でボールを打ち、「プロはこのくらいボールを打っているのだ」と計算しながら練習をしていたそうである。(※2)

単に「練習した」というだけではなく、どう考えてどのように取り組んだのかという主体性が一番大切なのだ。う~ん・・・。
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(※1)『個性を引き出すスポーツトレーニング』「プロローグ」立花龍(著)
(※2)『人が学ぶということ』今井 むつみ (著) 野島 久雄 (著) p166 

2010年12月29日 (水)

084 孤独に耐える強さは、日々の態度から生まれる

私は少年時代、何か大きな失敗をやらかすたびに、母親からこう叱られていた。

「あんたは、一時が万事、この調子なんだから!」

私はこのセリフをおそらく何百回となく聞かされて育ってきた。

普段のだらしない生活態度が、大切な時に取り返しのつかない大きな失敗として表れるのだという意味である。

このセリフを聞いていた当時は、反抗心もあって、あまり深く自らを省みようとはしなかった私であるが、今は自信をもって言える。

「全くその通りである」と。

つい先日の日曜日、全国高校駅伝があった。今年の大会で優勝した鹿児島実業の監督である上岡貞則さんについての記事が読売新聞に掲載されていた。ちょっと紹介する。

日常生活の細部にはとことん厳しい。あいさつは立ち止まってする、寮のスリッパを綺麗にそろえる。「チームでつなぐ駅伝も走る時は独り。孤独に耐える強さは、日々の態度から生まれる」。わずかなことにも手を抜かなかったという自信は、必ず無形の力になると信じている。(※1)
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(※1)『読売新聞』「顔」2010年12月27日

2010年12月28日 (火)

083 やるか、やらないか

森博嗣という、主にミステリー小説を執筆している作家がこんなことを言っている。(※1)
「小説家になりたい」と願っている人がいるとしたら、その人はすでに小説家になっていると考えてもよい、と。

なぜなら、「小説家になりたい」と思っているのなら、すでに自分で何らかの小説は書いているはずだからである。「書く」という行為は、他人の協力もいらないし、準備も訓練も必要はない。書けばいいだけだ。

それなのに、「小説家になりたい」と思っているのに、まだ小説を書いてない人に森さんはこう言う。

そういう人は、たぶん「小説家気分」や「小説家気取り」をしたいだけで、小説家になりたいのではない。別の仕事をして、読者として小説を楽しむことをおすすめする。(※2)

そうだよなあ。私も君たちも、何か夢があったとする。それに向けての行動を、今何かしているだろうか。やるか、やらないか、である。

今年の文化祭のテーマが「夢」だったので、君たち一人ひとりの夢が書かれた掲示物があった。

たとえば、「サッカーのプロ選手になる」という夢も複数あった。

私たちの中学校出身のY選手。Jリーグでも活躍し、U20の日本代表として活躍した。彼が中学校一年生の時に、クラス副担任をしていた先生からこんなことを聞いた。

当時からサッカーがうまかったので、その先生はこう聞いたそうである。

「Y君はリフティング、何回ぐらい連続でできるの?」

中学校一年生のY君は、「そんなにできないですよ」と謙遜しながら、こう答えた。

「頭も使っていいんですか?だったら3000回くらいかなあ」

さて、サッカーのプロ選手になりたい諸君。Y選手は中一の時は、3000回できたそうだ。さあどうする?リフティングの練習は、どこでも一人でもできるぞ(サッカーの練習はそれだけではないと思うけど)。

何もしなければ、さっき紹介した森さんがこういうかもしれない。

そういう人は、たぶん「サッカー選手気分」や「サッカー選手気取り」をしたいだけで、サッカー選手になりたいのではない。別の仕事をして、観戦者としてサッカーを楽しむことをおすすめする、と。
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(※1)『小説家という職業』集英社新書
(※2)同書p.190

2010年12月27日 (月)

082 小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まる~さかなクンの文章から

2006年12月2日の朝日新聞に「いじめられている君へ~広い海へ出てみよう」というさかなクンの文章が載っていた。

すばらしい文章です。ぜひ、下の朝日新聞のリンクから読んでください。

「広い海へ出てみよう」http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html

2010年12月26日 (日)

081 赤ちゃんだって自分が選びたいと思っている

こんなことは誰もが経験しているだろう。

テスト前、居間でテレビを見ながらゴロゴロしていた。頭の中では「そろそろ勉強始めようかなあ」と思っていたとする。しかし、こんなとき母親(父親)から「勉強しなさい!」と言われると、たちまちやる気が失せてしまう。

「私がこの行動(勉強すること)をするのは、私自身が決めた(選択した)ものだ。他の人に言われたからするというのは嫌だ。」という気持ちが私たちにはある。

この気持ちは、我々人間に備わった本能的なものなのだ。「今の私の状態は、他ならぬ私自身が選び取ったものなのだ」という気持ちを人類は大切にしてきた。だから、生きていくための方法を探求し、知恵を編み出してきた。そのおかげで、素手でケンカをすれば人間よりはるかに強い生き物がたくさんいた中で、人類はここまで繁栄できたのだ。

四ヶ月の赤ちゃんを対象にした実験である(※1)。

赤ちゃんにひもを握らせる。そのひもを引っ張れば心地よい音楽が流れてくることを教える。

そのあとで、ひもをはずす。そして、大人が適当な間隔でさっきの音楽を流す。

すると、赤ちゃんたちは、悲しげな顔をして腹を立てたというのである。音楽はさっきと同じ心地よいものなのに。

四ヶ月の赤ちゃんでさえ、「音楽を聴く、聴かない」を自分で決めたかったのだ。
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(※1)『選択の科学』シーナ・アイエンガー(著)櫻井祐子(訳)p.26

2010年12月25日 (土)

080 クリーブランド大統領が道路工夫をしていたときの話

以前、「014 教室でいつまでもグズグズしている生徒は落ちる?」という記事を書いた。

予備校の授業が終わったら、さっさと家路に着く生徒は合格することが多く、友達と教室に残ってダラダラとおしゃべりなんかしている生徒は落ちる、というお話だ。

また、世界三大ギタリストと称されたエリック・クランプトンが、若いとき、仲間から「飲みに行こう」と誘われても、ギターの練習の方が大事だと考え、その誘いを断ったというお話も紹介した。

仲間と安易につるまずに自分の夢を追い続けた人が他にもいた(※1)。

アメリカの22代大統領のステファン・グロバー・クリーブランドという人だ。彼は若いころ、道路工事現場や線路工事現場で働いていたそうだ。工事現場の仕事が終わると、仲間から「飲みに行こう」と誘われることもあった。

しかし、クリーブランドは弁護士になるために、仕事が終わったら学校に通っていたのだ。

彼が、「俺は、実は学校に行っているんだ。今日は学校へ行く日なんだ」と答えると、仲間は「道路工夫のくせにカッコつけやがって」と殴ったそうである。

それでも黙ってクリーブランドは学校に通い、目標を追い続けた。

そして30年後、クリーブランドは大統領になった。

何の本で読んだか忘れてしまったが、こういう言葉がある。「今のあなたの姿は、あなたが5年前に何をしていたかで決まっている」というものだ。つまり、今の自分がどう過ごしているかで、5年後の自分の姿が決まってくるというものだ。

安易に周囲と妥協せずに、自分の道を歩かなければという気にさせられる。

ところで、クリーブランドを殴った道路工夫は、クリーブランドが大統領になったころ、刑務所の囚人に成り下がり、挙げ句の果てに脱走を企てて警察官に射殺されてしまったという。
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(※1)『落ちたリンゴを売れ!』(箱田忠昭 著)p41-43

2010年12月24日 (金)

079 中学時代が人生で一番忙しかった~桑田投手

巨人のピッチャーとして活躍した桑田真澄投手。これまでの野球人生を振り返って「中学生時代が一番忙しかったかもしれない」と語る。

中学校に入学した当初は230人中、220番くらいだったという。しかし、授業をしっかり聞いて、ノートも取り、勉強道具もきちんと家に持って帰るようにし、可能な限り予習復習もするようになると、順位がどんどん上がっていった。

220番の順位もやがて100番台になり、80番になり、40番になり、20番になっていった(※1)。

しかし、野球部の練習も中途半端ではなかった。

練習が終わって家に帰ると、もうヘトヘト。食事を済ませて、素振りとランニングをする。

桑田選手は、こう語る。

もしかしたら、人生で一番忙しかったのは、あの中学時代かもしれない。それくらい、毎日クタクタの日々を過ごしていたものだ(※2)。

桑田選手は、中学時代、本当に毎日を一生懸命に生きていたのだなあと思う。――――――――――――――――――――
(※1)『心の野球』(桑田真澄著)
(※2)同書

2010年12月23日 (木)

078 黒柳徹子さんのスクワット

以前、「062 宮本武蔵の修行にならって、鈍足から俊足に」 という記事を書いた。

元プロ野球投手の権藤博さんが、子ども時代は鈍足だったが、毎日継続できるような方法でトレーニングを重ねていった結果、プロ野球界でも俊足の名を馳せるまでになったというお話である。

権藤さんがやった方法と同じような工夫でトレーニングを重ねている人を見つけた。

黒柳徹子さんである。高齢にもかかわらず、一日30回~50回のスクワットをするそうである。その理由を、こう語っている。

「人間の下半身は、気力と体力を生み出す、いわば原動力のようなものです」(※1)

黒柳さんは、いきなり50回やろうと決意したわけではない。

ある格闘家から次のようなアドバイスを受けたという(※2)。スクワットをする初日はたったの1回だけスクワットをするのだ。楽勝だからといって、2回以上やってはいけない。最初は1回だけ。

次の日は、2回。決して3回以上やってはいけない。

こうすると、20回できるまでに、20日かかる。ずいぶんまどろっこしいが、この方法で続けられる習慣が身につくのだ。50回に到達するまでに、もちろん体調によって、回数は増減してもいい。

50回に到達した日には達成感も味わえるだろう。
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(※1)『上機嫌の作法』(齋藤孝著)p.103
(※2)『「今度こそ絶対!」続けるコツ』(志賀内泰弘著)p.116-117

2010年12月22日 (水)

077 毎日国語のプリントを出し続けた人の合格率

私は国語科を担当担当している。ここ2年間、次のようなことを中学3年生の自分が担当しているクラスでやってみた。

毎日、高校入試レベルの現代文とそれに関しての問題を、1問から2問、プリントにして、希望した生徒に渡す。

生徒はそのプリントを家でやって、翌日学校で私に提出する。私は提出した生徒に次の問題プリントを渡す。

全60回の企画である。

これが60回全部完結した生徒は二年間で19人。この19人のうち、第一希望の高等学校に合格した生徒の数は17人である。

こう聞くと、毎日現代文を一問ずつやるのは効果があるのかなあ、と思うだろう。でも、私は本当はそうではないと考えている。

一度「やる」と決めたことを最後までやれるような人が合格するのだ。

2010年12月21日 (火)

076 ソーンダイク・マケスターを知っているか?

『「戦う自分」をつくる13の成功戦略』(ジョン・C・マクスウエル著 渡邉美樹監訳)の中に、私が大好きなエピソードが収められている。それを会話風にしてみる。

ある会社。営業担当社員2千人を前に、営業部長がこう問いかけた。

部長「ライト兄弟は途中であきらめたか?」

社員たち「ノー!」

部長「チャールズ・リンドバーグは途中であきらめたか?」

社員たち「ノー!」

部長「ランス・アームストロング(世界最高峰の自転車ロードレースで癌に冒されながら7年連続優勝を遂げた人)は途中であきらめたか?」

社員たち「ノー!」

部長「ソーンダイク・マケスターは途中であきらめたか?」

社員たち「・・・・・・」

一人の社員「部長・・・。ソーンダイク・マケスターとはいったいだれですか?そんな人、聞いたこともありません。」

部長「知らなくて当然だ。途中であきらめた奴だからな」

そうなんだ。あきらめたら、そこで終わりだ。続けさえすれば、いつかは努力が報われるときがくる。

南アフリカのマンデラ元大統領を知っているだろうか。南アフリカのアパルトヘイトに戦いを挑み続け、27年間も刑務所に入れられながら、大統領になり、新しい民主的な南アフリカの礎を築いた人物である。彼が次のような言葉を残している。

「人生の最高の栄光は、絶対に倒れないことではなく、倒れるたびに起き上がることである。」

2010年12月20日 (月)

075 人はみな死刑囚?

『大人が変わる生活指導』(※1)という本にこんなことが書いてあった。

著者の原田さんが、刑務官として勤めている友人から聞いた話である。この刑務官の友人は長年死刑囚や無期懲役囚を見てきたというのである。

その友人は、刑務所で充実した生活を送るのは死刑囚だと語る。これまで字を書いたこともないような人が、執筆を始めたり、一心不乱に絵を描き出すこともあるそうだ。

逆に、無期懲役囚の方が、だらだらとした生活をして、しょっちゅう問題を起こすという。

その理由について原田さんは次のように語る。

彼ら死刑囚の人生には、期限が与えられているからです。死ぬまでの期限を与えられた人間は、これまでの人生を振り返って、「自分はこれでいいのか?」と真剣に自分の人生と向き合うようになります。(※2)

そして、原田さんは、我々人間というものが、「死」から避けられない運命だということについては、死刑囚と同じではないか、と言う。

私は、原田さんの本を読んで、自分の残された人生をグラフのようなもので表してみた。ここでは仮に80歳を寿命として考えてみた。

Photo

たしかに、今48歳の私は、定年まで残された時間はあまりないことがよくわかる。もちろん、人生は定年で終わるものではない。しかし、バリバリ活動しようと思ったら、まあ、70歳ぐらいまでであろうか。

さて、中学生の君たちはというと、ごらんの通り、私よりも残された時間はずいぶん多い。しかし、君たちも限られた人生の中を生きているのだ。

そう考えると、君も私も、今日という日を一生懸命に生きただろうか。今日という日は二度と戻ってこないのだ。
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(※1)『大人が変わる生活指導』原田隆史(著)日経BP社
(※2)同書p.72

2010年12月19日 (日)

074 なぜ彼はゴルフショップを廃業したのか

君たちの中に、「子どもが好きだから」という理由で保育士さんや幼稚園の先生になりたいと思っている人が多いのにびっくりした。とてもすばらしいことだと思うけど、ちょっと下のお話も読んでください。

今となっては出典がわからない。20年ぐらい前に読んだゴルフの週刊誌にこんなことが書いてあった。

あるプロゴルファーがいた。プロテストには合格したものの、トーナメントに出場して賞金を稼ぐことができず、プロとしては、はっきりいえば「鳴かず飛ばず」という状態だった。

でも彼には別の特技があった。それは、他人のゴルフスイングをみて、その人にあったゴルフクラブの調整、改造をすることだった。プロ、アマチュアを問わず、彼の周りにはクラブを手にした人がいつも集まっていた。彼自身も実はトーナメントに出たりすることよりも、こっちの方が楽しいと思っていた。

そこで、彼はゴルフクラブの調整、改造を売り物にしたゴルフショップをオープンさせた。

人はみな「きっと繁盛するだろう」と思っていた。しかし、この店は長く続かなかった。

なぜか?

彼は、ゴルフクラブの改造は大好きだったが、肝心の「接客」が嫌いだったのだ。

これまでだったら、彼の周りに集まる人は、彼のつきあいの範囲の人たちだ。嫌いな人はあまりいないだろう。クラブを調整してあげて、お金ももらわないので、感謝されるばかりだった。

ところが商売になると違う。お客の機嫌をとるセリフも言わなければならないだろうし、嫌なお客も来るだろうし、お金を取るわけだから、その後のクレームにも対処しなければならない。

彼はこういうことが大嫌いだったのだ。

この記事を書きながら思い出したのだが、昔(30年以上前)、『スタンプマガジン』という切手の雑誌にこんな記事が書いてあった。

切手収集が大好きな人がいた。寝ても覚めても切手のことばかり考えていた。この人はとうとうこれを商売にすることを考え、切手商を始めた。しかし、商売としてやっているうち、切手が嫌いになってゆき、とうとう「切手を見るのも嫌」という状態になってしまったという。

保育士さんは、子どもと遊ぶだけがお仕事ではないということです。

2010年12月18日 (土)

073「有名になりたい」より「人を喜ばせたい」 一刻堂さんの話(その2)

※この記事は『婦人公論』「いっこく堂 すべては夢を叶えるための回り道だった」2001年1月22日号 を元に書きました。

一刻堂さんは最初から腹話術師になろうと思っていたわけではない。最初は役者になりたくて、19歳のときに故郷の沖縄から上京してきた。

しばらくは得意のものまねと司会で営業していたが、「自分はいったい何をやっているのだろう」と思い、初心の役者になりたいという夢に立ち返り、22歳の時に劇団に入った。

その劇団で30歳近くまで活動を続けていたのだが、あるとき、米倉 斉加年さん(国語の教科書に出てきた『おとなになれなかった弟たちに…』の作者)に、「君は劇団の中でやっていくより、一人で芸をやっている方がいきいきしているなあ」と言われたことがきっかけで、「自分が一人でできる芸は何だろうか?」と考えるようになった。

そこで思い出したのが、中学生の時に見た腹話術。腹話術だったら施設を回って人に喜んでもらえると考えた。

図書館で『だれにでもできる腹話術』という本を借りて、鏡の前で練習を重ねた。

しかし、あるとき特別養護老人ホームに慰問にいったとき、そこの女性スタッフから「あんた、あがっていたわね」と言われて、ショックを受けた。素人芸では人は喜んでくれないんだ・・・。

これがきっかけで腹話術師としてプロになろうと決意した。

でも、従来の腹話術と同じものはしたくなかった。腹話術の常識を破りたかった。これまでは腹話術では「破裂音」(パ行、バ行、マ行)は腹話術では出せないと言われてきた。

この常識を打ち破るために、一刻堂さんは「丸一年間は、毎日8時間練習を続ける」と決意した。
そして、熱が出ようが何があろうがやり遂げた。そして2年後、破裂音をマスターしたのだった。

この2年間を支えたものは何だったのだろうか。一刻堂さんは次のように話す。

いまにして思えば、腹話術に出会うまで何をしてもうまくいかなかったのは、「有名になりたい」という気持ちが足を引っ張っていたんですよね。(※1)

一刻堂さんは、以前ものまねをやっていたときは、「有名になりたい」という気持ちでやっていたから、心の片隅に何か「自分は汚いなあ」とブレーキをかけるものがあったそうだ。

でも、腹話術はただ人に喜んでもらいたくて始めたから、そのブレーキはない。だからどんどん前に進んでいくことができた。(※2)

僕たちも、何か自分の夢があったとき、それが人を喜ばせたり、人を幸せにすることにつながるものだと、すごいパワーが得られるのだろうなあと思う。
――――――――――――――――――――
(※1)『婦人公論』「いっこく堂 すべては夢を叶えるための回り道だった」2001年1月22日号
(※2) 同書

2010年12月17日 (金)

072 思い続ければ叶う 一刻堂さんの話

先日の休日、お昼のテレビを見ていたら、腹話術師の一刻堂さんが出ていた。ずいぶん久しぶりにテレビで見るなあ、と思っていたら一刻堂さんのさらにレベルアップした技にびっくりした。

腹話術で松山千春の歌マネを信じられないくらい本人そっくりにやっていたのもすごかったが、英語、中国語、タガログ語(フィリピンの人が話す言語)でも腹話術をやっていたのにはびっくりした。実際に海外でも公演をしているそうである。

すごいなあとテレビを見ていたら、「そういえば一刻堂さんの雑誌記事があったよなあ」と思い出して、その記事を探して読んでみた。10年前の記事である。その記事にはこう書いてあった。

目標は、世界に通じるエンタテイナーになること。腹話術を使って芝居をやること自体が世界初ですし、それを究めて、いろんな国の言葉を覚えたら、世界でやれると思うんです。最終的には、貧しい国々を訪ねて、ボランティアで腹話術をやりたい。マザー・テレサのように直接人々を助けることは僕には到底できないけれど、芸で喜ばせることができたらいいなと思う。(※1)

一刻堂さんは目標に向かってこの10年の間、走り続けていたんだなあ・・。

一刻堂さんが夢をかなえた秘訣は、「ぜったいにできる」と信じ続けたこと。時には、人から否定的なことを言われて傷つくことがあっても、寝る前には「いいこと」を考えるようにして、その否定的な言葉を打ち消すようにした。(※2)

10年前の一刻堂さんは語る。

いつになるかわからないけど、自分を信じて、人を喜ばせたいという思いを持ち続ければ、きっと夢はかなうと思っています。(※3)
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(※1)『婦人公論』「いっこく堂 すべては夢を叶えるための回り道だった」2001年1月22日号
(※2)同
(※3)同

2010年12月16日 (木)

071 本番で集中力を発揮するには

阪神の下柳剛投手を知っているだろうか。阪神タイガースの投手である。42歳になる今年はふるわなかったものの(それでも7勝しているのはすごい)、2005年には15勝をあげて最多勝投手となり、このタイトルの最年長記録を塗り替えた。

下柳選手は日本ハムファイターズから阪神に移籍してきてから、二ケタ勝利を重ねるようになった。

その活躍の陰には白石豊さんというメンタルトレーナーがいた。

下柳選手は、白石さんから指導を受けるまでは、マウンドで感情を表情や仕草で表すタイプのピッチャーだったそうだ。味方がエラーすると、すぐにふてくされた顔をしたり、ミスをした選手をにらんだり、ベンチでグローブを投げつけたりすることもあったそうだ。

白石さんは、それを改めるように下柳選手にアドバイスした。(※1)

下柳選手は、喜怒哀楽を表に出すことをやめ、今の一瞬一瞬に集中することの大切さを考えるようになった。それが阪神での好成績につながっていった。

鹿屋体育大学の児玉光雄さんも、「喜怒哀楽を出す人はいつも集中できないでいます」と述べている。(※2)

イチローは三振に打ち取られても、ホームランを打っても表情をほとんどかえないそうだ。

児玉さんは、このイチローの「演じる能力」こそが集中力を維持する秘訣だという(※3)。

「感情は心の嵐であり、集中力を途切れさせる元凶」(※4)だとすれば、どんなときも同じ表情と仕草をとり続けることができるということは、精神的に安定している、つまりは集中力があるということだ。

この話は、スポーツだけではなく、いろいろな場面で役に立ちそうだと私は思った。
――――――――――――――――――――
(※1)『本番に強くなる―メンタルコーチが教えるプレッシャー克服法』 白石豊(著)
(※2)『イチロー式集中力』 児玉光雄(著)p44
(※3)同 p43
(※4)同 p44

2010年12月15日 (水)

070 夏サボる人は・・・

数年前の夏、「Z会」の新聞広告を見た。

その広告には次のようなフレーズが書かれていた。

夏サボる人は秋もサボります。冬もサボります。そして落ちます。

笑ってしまったのは、このフレーズに添えられたイラスト。

息子の散らかった部屋を掃除機で掃除している母親。そのそばでは、息子がエアコンの風が当たるソファに寝ころんでいる。アイスキャンディをなめながら、片手にテレビのリモコンをもって・・・。

そして母親に言う。

「ママ、夏は体力温存だよ」

母親の後ろ頭が「ピキッ!」と音を立てる。

文章にすると、おもしろさが激減するが、このイラストには笑った。

「夏サボる人は秋もサボります」か・・・。自分自身を振り返ってもそうだよなあ・・。テスト前の週末。「土日があるから」と遊んだ金曜の夜。そういうときは、土日になってもがんばったためしがない。

今日は、名言を紹介して終わろう。

「あなたは一年後、今日始めなかったことを後悔しているかもしれない。」カレン・ラム(俳優)

「あなたはずっと山に登りたいと思っている。でも明日にしよう。おそらくあなたは永遠に登らないでしょう。」レオ・ブスカーリア(教育学者)

「明日からがんばるんじゃない。今日をがんばり始めた者にのみ明日がくるんだよ!」漫画『賭博破壊録カイジ』の台詞から

2010年12月14日 (火)

069 堀内投手が自信を維持した方法は?

『一生折れない 自信のつくり方』(※1)という本の中に、興味深い話があった。

元巨人の監督を2004年と2005年に務めた堀内恒夫さんのことを知っているだろうか。投手で活躍していたことを覚えている人は、かなりの年配になるだろうなあ。

堀内投手は巨人のV9時代を支えていた投手である。

堀内投手は現役のころから「メンタルコーチ」をつけていたということである。メンタルコーチとは、スポーツマンの精神面でのサポートをするコーチのことである。

堀内投手のメンタルコーチが堀内投手に課したことは、「毎日同じ時間に多摩川のグランドで走ること」

走るといっても、ハードな走りではない。軽く2周ジョギングをして、それからメンタルコーチと会話をするだけである。

堀内投手はこれを何年にもわたって続けていたそうである。

「オレは自分のお金で、メンタルコーチをつけて、こうやって毎日努力をしている。そんなオレの投げる玉が打たれるわけはない」

堀内投手がこのような自信をつけるように、メンタルコーチは考えていたのである。

自分にできることを続けること。これは本当に自信につながると思っている。
――――――――――――――――――――
(※1)『一生折れない 自信のつくりかた』青木仁志(著)アチーブメント出版

2010年12月13日 (月)

068 地雷が私の脚を奪ったことに感謝します

カンボジアという国は、ポル・ポト派による大量虐殺、それに伴う内戦と政治的混乱の影響で、無数の地雷が埋められたままになっている。君たちも知っているように、これまでも多くの人が、幼い子から老人まで年齢を問わず、犠牲になってきた。

毎月600人が地雷に接触し、被害に遭っているという。(※1)

私は思う。もし私の家の周りが同じように、万に一つでも地雷があるかもしれないという可能性があったら、私は一歩も家の外に出ることができないだろう。

カンボジアの人々の中には、本当は地雷があるかもしれないのに、生きていくために、田畑を開墾せざるを得ない人たちが多くいる。

地雷が潜んでいるかもしれないのに、小さい子どもたちも荒れ地で仕事を手伝ったり、遊んだりして、被害に遭う。

池間さんの本(※2)の中でリンナさんという人を知った。

リンナさんはもともと学校の勉強が好きで、成績も良かった。でも、家が貧しいこともあって、リンナさんは自分から学校を「やめた」。そして、親元から離れた農場にはたらきに出ることになった。

10歳の時に、農作業をしているときに、地雷を踏んで右脚を失った。

リンナさんがつらかったのは、両親を助けるためにはたらきに出たのに、これでは逆に親に迷惑をかけることになってしまったという思い。

リンナさんはずっと死にたい死にたいと思っていたけど、ある日「一生懸命に生きなければならない」と決意したそうだ。

その後、リンナさんは一生懸命に勉強するようになった。近所の学校にっている友だちの教科書などを集めて、必死に勉強した。そのかいあって、今ではパソコンも使えるし、洋裁もできる。そして四人の子どものお母さんをしている。

このリンナさんがこんなことを語っている。

「私は地雷を踏んで脚を失ったことに感謝しています」

どうしてだろう?

「私は右脚を失ったからこそ、一生懸命生きることを意識できました。地雷で脚を失ったからこそ、私は真剣に生きることができるようになった。だから今の幸せがあるのです。」(※3)

自殺まで考えたリンナさんがどうして、ある日「一生懸命に生きよう」と思うようになったのかは分からない。

リンナさんのような人のことを知ると、元気が出るというか、「オレもがんばらないと」と思えてくる。
――――――――――――――――――――
(※1)「報道写真家から」「(6)地雷原に暮らす」「http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/fe24b9facdc596f6a512b87448ea129a
(※2)『あなたの夢はなんですか?私の夢は大人になるまで生きることです。』池間哲郎(著)致知出版社
(※3)同書p133-134

2010年12月12日 (日)

067 「片付け力」はプロ意識の表れ

昔、大工さんのお宅にお伺いしたことがある。その方はPTAの役員で、私は学校行事の打ち合わせに行ったのだが、そのとき、大工さんの仕事場に入らせてもらった。掃除が行き届いた仕事場で、木くず一つ落ちていないのに驚いた。

その方の奥さんがこう言われた。

「ウチの主人は、すごくいい加減な人なのに、仕事場だけはきちんと片付けるんです。どんなに遅い時間まで仕事をして疲れていても、仕事場をきちんと掃除してから、家に入ってくるんですよ。」と笑っておられたのをよく覚えている。

イチローは、球場の自分のロッカーがきちんと整理整頓されているそうである。(※1)
実は、イチローはロッカーだけではなく、ホテルに滞在しているときも、自分の持ち物をきちんと整理しているそうだ。タオル、歯ブラシ、ひげ剃りなどの置き場所をビシッと決めている。(※2)

大工さんの仕事場にしろ、イチローの話にしろ、伝わってくるのは彼らの「プロ意識」である。

イチローのことを長年研究している児玉光雄さんは次のように述べる。

すべてのものごとが整理整頓されていれば、どんなプレッシャーの中にあっても余分なことを考える必要がないため、肝心の自分の仕事だけに集中できるからです。(※3)

私の仕事場の机はどうだろうか?う~ん・・・反省・・。
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(※1)『たった1分で人生が変わる 片づけの習慣』小松 易 (著) 中経出版
(※2)『イチロー式集中力』児玉光雄 PHP文庫
(※3)同、p22

2010年12月11日 (土)

066 君は「サーカスの象さん」か?それとも・・

サザンオールスターズの桑田佳祐さんのことは君たちも知っているだろう。すごく息の長いバンドである。なにしろ、デビューしたのが1978年だ。デビュー曲の「勝手にシンドバッド」を初めて聞いたとき、中学校三年生の私は「へぇー、変わった曲だなあ」と思ったことは今でも覚えている。

桑田さんは、デビュー曲が発売された直後から、自分自身でリクエスト葉書を何百枚も書いて送ったそうである。それがDJの目にとまり、ラジオで流されるうちに、本物のリクエストが増えていったそうだ。(※1)

ケンタッキーフライドチキンの創業者のカーネル・サンダースは、自分の考案したチキンの調理法の提案を1009回連続で断られた。

『ハリーポッターと賢者の石』を書いたJ・K・ローリングは、夫と離婚し、生まれたばかりの赤ん坊を抱え、生活保護を受ける極貧の生活の中で原稿を書き続けた。娘が眠りにつくと、暗く狭いアパートを抜け出し、近くのカフェに居座り、ペンを走らせた。光熱費をうかせるためである。

その中から生まれた『ハリーポッターと賢者の石』。でも、彼女が送った原稿を、何社もの出版社が「ボツ」にした。(※2)

ところで、「自信」という言葉がある。自信の意味を「自分を信じる力」とすると、上に書いた人たちの成功を支えたものはまさしくそれであろう。

では、この世で一番自信のない生き方をしている動物は何だろうか?

それは、「サーカスの象」である。実際に見たことはないが・・。

サーカスで芸をする象は、サーカス団とともに、各国、各地を旅している。この象は、サーカスの出番がないときは、ずいぶん小さな杭(くい)でつなぎとめられているという。それこそ、象がちょっと力を出せば簡単に引き抜くことができるぐらいの杭だという。

しかし、象はそれをしない。なぜか?

子象のときから、杭でつながれているために、巨象になった今でも、「この杭を引き抜くのはオレには無理だ」と思いこんでいるからだ。

う~ん、いかにもありそうな話だ。

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(※1)『週末作家入門』(廣川州伸 著 講談社現代新書)
(※2)『情熱思考』(是久昌信 著 中経出版)、Wikipedia「J・K・ローリング」

2010年12月10日 (金)

065 人の言うことを気にしてもしかたがない~海老蔵さんの記者会見から

昨日、家で芸能ニュースを見ていたウチの女房が言っていたことを元にこの文章を書いています。だから不正確な点があるでしょう。そのときはお許しください。

海老蔵さんの記者会見の様子を伝える番組の中で、礼儀作法の専門家(さだかではない)は、海老蔵さんを高く評価したそうである。

「お辞儀の仕方が美しい。普通の人は、お辞儀があんなに長く美しくはできない。さすがに歌舞伎で鍛えてらっしゃる。会見の合間に水を飲む作法も美しかった。」と。

反面、あるレポーターは次のように伝えたそうである。

「お辞儀の仕方がまるで演技ですね。あそこまでいくと演技です。」

私は海老蔵さんや、この事件には全く興味がない。

思ったのは、結局、どんなことをしても、悪く言う人はいるし、評価してくれる人もいるということだ。

ならば、私たちも、あまり人の言うことは気にせず、自分が正しいと思ったことをすることの方が大事ではないか。

2010年12月 9日 (木)

064 念願のオリンピックに出場した石黒さんが「奇跡の夢ノート」に書いたこと

アメリカのある大手鉄鋼メーカーの社長さんが、忙しすぎてなかなか仕事がうまく進まない悩みをもっていたので、あるコンサルタントに相談した。

コンサルタントは社長の悩みに、こう答えた。

「今日、あなたがやるべきことのうち、もっとも重要なものを六つ書き出してください。」

社長は言われたとおりに、紙に六つの「やるべきこと」を書いた。

コンサルタントは続けて、「この六つの『やるべきこと』に、重要なものから順に番号をつけてください」

社長は言われるとおりに、番号を振った。

コンサルタントは、「それでは、今日は①番の『やるべきこと』から順番に片付けてください。六つ全部できなくても大丈夫です。一番大事なことは片付けているわけですから。これを毎日続けてください」

社長は、言われるままに数週間、この方法を試してみた。すると単純な方法ながら、すごい効果があることが分かった。そこで、このコンサルタントに相談料として2万5000ドル支払ったということだ。

実はこのエピソードはビジネスマンの間では有名な話だ。

ところで、以前、「028 『奇跡の夢ノート』石黒さんの分刻みの高校生活」 
という記事を書いた。

石黒さんは、分刻みの忙しい高校生活をどう乗り切ったか。石黒さんは、こう語っている。

勉強に打ち込むようになってからは、「夢ノート」 のまとめ方もより効率的になっていった。自分の目標を、「緊急重要」「緊急」 「重要」 「その他」 の順番でランクづけし、上から順に遂行していく。
○緊急重要/数学のドリル3ページ、英語の宿題
○緊急/Bちゃんに借りていたCDを返す
○重要/筋力トレーニング
○その他/オリンピックに出場する(『奇跡の夢ノート』NHK出版)

上の社長さんの応用版といってもいいだろう。それはそうと、印象的なのは「○その他」のところで、「オリンピックに出場する」という記述である。

毎日、石黒さんは「今日すべきこと」の中に、「オリンピックに出場する」と書き続けた。毎日自分の夢を書き続けたのだ。

石黒さんは、「すべきこと」が達成できたら、「ありがとうございました」とペンで書き入れることにしていた。

著書の中には、オリンピック出場が決まった日に、「オリンピックに出場する」の文字のそばに「ありがとうございました」と書き込まれていた。いったい石黒さんは、何度「オリンピックに出場する」と書き続けてきたのだろうか。

※この記事は『奇跡の夢ノート』(NHK出版)のほか、『死ぬまでに達成すべき25の目標』(中嶋秀隆、中西全二著 PHP出版)を参考にしました。

2010年12月 8日 (水)

063 日韓両国の一流プロ野球選手に共通していること

巨人軍のブルペン捕手として働いている選手に、柳桓湊(リュウフアンジン)という人がいる。柳さんは、韓国の三星ライオンズなどでプレーした後に、日本にやってきた。彼は、日韓両国の一流選手には共通した特徴があるという。

「それはたぶん、ひとりで練習する力ではないでしょうか。全体練習を終えた後の個人練習を見るとよくわかります。」(『こんな言葉で叱られたい』(清武英利 著 文春新書)

この話を紹介した清武英利さんは、「二流の選手はファンが見守る全体練習は懸命にやるが、たいていそれで力尽きて、一番大事な個人練習が長く続かない」と語る。

そうだよなあ・・・。中学校で野球をやっているウチの息子にも言えることだが、みんなとの部活の練習に参加しても、みんなと同じ練習をするのだから、その中で自分よりうまい人との差はなかなか縮まらない。差を縮めようと思うならば、どれだけ個人の努力ができるかなんだけどなあ。

2010年12月 7日 (火)

062 宮本武蔵の修行にならって、鈍足から俊足に

君たちは権藤博というプロ野球選手のことは、おそらく知らないだろうなあ。

なにしろ中日に入団したのが1961年のことだ。入団1年目から主力投手として活躍し、新人ながら年間試合数130試合のうち、半分以上の69試合に登板した。そして35勝を挙げた。翌年も30勝を挙げる活躍をみせたが、やはり無理がたたり、その後はあまり目立った活躍はできなかった。

現役引退後はコーチとして実力を発揮し、監督になった1998年には横浜ベイスターズをリーグ優勝、そして日本一に導いた。

この権藤さんが『教えない教え』(集英社新書)という著書の中で、おもしろいことを書いていた。

権藤さんは、子どもの頃は脚が遅かったのだという。だから運動会でも徒競走が苦手で、鈍足にもチャンスがある障害走の方が好きだったらしい。

高校卒業後、社会人野球をしている中で、権藤さんは「プロの選手になりたい」と強く思うようになった。

そのためにハードなトレーニングをする必要性を感じていたのだが、いきなり始めるのはつらいものである。

そこで、権藤さんは「今日は腕立て1回、腹筋1回、ダッシュも1本」、明日は「腕立て2回、腹筋2回、ダッシュも2本」というように、毎日一つずつ本数や回数を増やしていくことにしたそうだ。社会人2年目の元旦がそのスタートの日だった。

これは、権藤さんが読んだ『宮本武蔵』(吉川英治著)の中に出てくる武蔵の修行を取り入れたものだそうだ。

武蔵は麻の種を庭に植え、芽が出ると、その芽をジャンプして跳び越える鍛錬をしたそうだ。麻の成長につれて、その上を跳び越える力が自然に養われる。

権藤さんの方法も1ヶ月もすれば30回になり、そうとうしんどくなる。つらくなったときは、権藤さんは少しだけ日付を戻して回数を減らすことはあったけど、「何もしない日」は作らなかった。

するとおもしろいもので、鈍足の権藤さんが、今まで負けていたチーム内の選手に勝つようになる。どんどんトレーニングがおもしろくなる。やがてチームトップクラスの俊足になる。

その後入団した中日ドラゴンズの中でもピカイチの俊足になったそうだ。

権藤さんはこう語る。

すべては社会人野球時代の「麻の芽作戦」のおかげである。三日坊主にならず、地道な努力を続けていくことが、大願を成就させる上で最も大切なことである。(同書p68)

2010年12月 6日 (月)

061「私は音楽家に向いていますか?」「いいえ、向いていません」

ニューヨークフィルハーモニー楽団の常任指揮者だった高名なバーンスタインは、次のような質問を若い人から受けることがあるそうだ。

「バーンスタイン先生、私は音楽家になりたいと思っているのですが、私は本当に音楽家に向いていると思いますか?」

こんなとき、バーンスタインは、相手がどんなに優秀な人であっても、こう答えるそうだ。

「あなたが音楽家に向いているとは思いません。」

なぜだろうか。バーンスタインは理由をこう語る。

「音楽家というのは、向き不向きを考える以前に、どうしてもなりたくてしかたがなくてなるものですよ。本当に音楽家になりたければ、自分の向き不向きなどかまわないものです。私に相談したということは、あなたにそこまでの決意はないということを意味しているのですよ。」と。

※この記事は『文化系必修研究生活術』(東郷雄二 著 夏目書房)のp20-21を元に書きました。

2010年12月 5日 (日)

060 この双子、音楽家になったのはどっちと思う?

自分のことを書いて恐縮です。
私は陸上競技の砲丸投げを長年やっていたが、長続きしたきっかけは砲丸投げの練習に取り組んで、1ヶ月ぐらい後に市の大会に出たことにある。

その大会では、参加人数も少ないこともあって、優勝できた。「こんな自分でも1位になって賞状がもらえるんだ」と当時は感激した。すごくうれしかった。昭和の日付が入り、黄ばんだ賞状は今でももっている。賞状をもらってから、がぜん練習にも熱が入るようになった。

自分を振り返ってみると、本当に砲丸投げが好きだったのか、と考えると自信がない。だって種目自体すごく地味なスポーツである。練習も単調である。自分が賞状をもらって、喜びや自信を得て、「好きになった」というのが本当のところだと思う。

今から述べるお話はジュディス・リッチ・ハリスという心理学者の調査によってわかったことである。

あるところに、双子がいた。この双子は、乳児期にそれぞれ別の家に養子としてもらわれた。

そして、大人になった二人を比較すると、一人はプロのピアニストになり、もう一人は音符さえも読めない、いわば普通の人になっていた。

この双子の二人がどんな環境の家で育ったかというと、一人はあるピアノ教師の家で育ち、もう一人は音楽に全く関係ない家で育った。

こう聞かされると、ピアノ教師の家で育った方がプロのピアニストになったと考えるだろう。私もそう思った。

しかし、事実は逆だった。音楽に全く関係のない家に育った方が、プロのピアニストになったのである。

この二人は一卵性双生児である。だから、どちらか一方がプロのピアニストにまでなったので、もう一人の方も、音楽の素質はかなりあったと考えられる。

音楽に全く関係ない家に育った子どもの方は、たとえば幼稚園でたまたまピアノを弾いたりしたときに、ほかの子どもたちよりもうまく弾けて、ほめられた経験があったのかもしれない。それでピアノが大好きになって、プロのピアニストになったのだろう。

それに対して、ピアノ教師の家に育った子どもの方は、ちょっとぐらいピアノがうまくても人は驚かない。目立たない。そんなにほめてくれないかもしれない。小さい頃一緒にいる子どもたちの中にも、親同士のつきあいからいって、音楽関係者の子どもが多かったことも推測できる。「私はピアノに向いていない」と考えても無理はない。

私はこの話から二つのことを考えた。

まず、人は周囲から認められるということがどれだけ大きいかということ。

もう一つは、将来の仕事を選択するときに、「好きなこと」で選ぶべきか、それとも「できること・得意なこと」で選ぶべきかという議論があるが、結局はこの二つはほとんど重なってくるのではないかということだ。

※このお話は『残酷な世界で生き延びるたった一つの方法』(橘玲 著 幻冬舎)のp101-102の内容を元に書きました。

2010年12月 4日 (土)

059 戦っていたのは自分だけではなかった~柔道古賀選手の転機

柔道の古賀稔彦選手って、君たちは知らないだろう。きっとお家の人は知っていらっしゃるから聞いてごらん。

とくかく強い選手で、背負い投げが得意で、国際大会などのトップレベルの大会ではあまり背負い投げは決まらないのだが、この古賀という選手はバッタバッタと強豪選手を上から投げる、それは強い選手だった。

この古賀選手が金メダルの期待を背負ってソウルオリンピック(1988年)に出場したときの話である。

古賀選手は優勝候補の筆頭に上げられながらも、3回戦敗退、敗者復活戦にも出られず、メダルなしに終わってしまう。

古賀選手にとってショックだったのは、今、日本に帰ってきて空港に降り立ったのに、誰もいないことだった。

ソウルに旅立つときには、あんなにたくさんのファンや報道関係者が空港に駆けつけてきたのに。

鬱屈(うっくつ)した古賀選手は、ほとんど外出もせず、自宅で「半引きこもり状態」の生活を送っていた。

そんな中、ぼ~っと見ていたテレビが、「ソウルオリンピック特集」を始めた。

この番組で古賀選手は人生の転機となるシーンを見た。そのときの気持ちを古賀選手はこう振り返る。

ソウル五輪の柔道会場で私がテナーゼ選手に負けた瞬間、観客席の両親が映った。そのとき、両親はまわりの人たちに謝るように頭を下げていたのだ。2人の気持ちを思うと胸のつぶれる思いがした。戦っていたのは私だけではない。両親も観客席で私と同じように闘っていたのだ。しかし、こんな親の姿は二度と見たくなかった。周りの人たちに祝福され、喜んでいる姿を見たい。(『古賀稔彦 世界を獲った男、その生き方』東京学参)

自分はなんという思い上がった愚かな人間だったのだろう。自分は一人で強くなったと思っていた。両親をはじめ、自分を支え続け、応援してくれた人たちのことを忘れていた。古賀選手はそう思った。

この時の両親の姿を転機に変えた古賀選手は、4年後のバルセロナオリンピックでは見事に金メダルを獲得します。

*この記事はブログ記事『~ 柔道家 古賀 稔彦さんの講演会 ~』(http://ameblo.jp/rocknrolldamasiijyarou/entry-10514660641.html)と『スポーツ心理学者が教える「働く意味」の見つけ方』(杉浦健 著 近代セールス社)を参考に書きました。

2010年12月 3日 (金)

058 不機嫌は甘えん坊

書名と著者名が分からなくなってしまったが、以前読んだ本の中に、私自身も我が身を振り返り恥ずかしくなったことがある。君たちはどうだろうか?

よく、ちょっとしたことで不機嫌になり、それを表情や態度に出してしまう人がいる。

そういう人は「甘えん坊」というのである。

不機嫌さを顔や態度に出すと言うことは、実は、周りの人に次のようなことをアピールしているのである。

「ねえ、みんな!私は機嫌が悪いのよ。さあ、さあ、早くだれか私の機嫌をとってよ!」

つまり、周りに「甘えて」いるのである。

その証拠に、見知らぬ人の家に招待されて、その家の中で、いつもの自分だったら怒ってしまうようなことがあったとしても、私たちは「いいんですよ」と言うだろう。不機嫌になるどころか、笑顔を浮かべながら。

君はおそらく中学校を卒業したら高校にいくだろう。その高校で入学式が終わった後、教室に入り座席に着いたら、初めて会うクラスメートがぶつかってきた。そのクラスメートが「あっ、ごめんね」と言ってきたら、君はムッとしながらも、「いいよ、いいよ」と言うだろう。

なぜなら、見知らぬ家の人も、新しいクラスメートも、自分にとって「甘え」が通用する相手かどうか、まだ分からないからだ。

すぐ不機嫌になる人は甘えん坊なのだ。

甘えん坊、と言われるのは嫌だなあ。

2010年12月 2日 (木)

057 半年間も船旅をして、当日失格になったゴルフの天才少年

※これから書く文章は、20年くらい前に、「週刊現代」か「週刊ポスト」の夏坂健さんのエッセイ(これもさだかではない)に書かれていたことを元にしたものです。だから不正確だと思います。どなたか元になった記事をご存知なら教えてくだされば幸せます。

戦前の古い話である。

東南アジアのタイ(多分)に天才的なゴルフ少年がいた。あまりにも強かったので、世界的な大会である「全英オープンゴルフ」に出場することになった。

タイから英国までは、今だったら飛行機で行くところだが、当時は船旅しか方法がない。天才少年は、地元で盛大な壮行会を開いてもらい、故郷の人たちの期待を一身に受け、英国に旅立った。

英国までは船で半年かかったそうである。

そして英国の「全英オープン」の開催地に到着した。

ところがである。

少年は、大会当日、選手集合時間に遅刻をしてしまったのである。それもたった数分。

大会本部は少年を失格とした。どんなに長い船旅を重ねて、はるばる英国に来ようとも、道で迷って到着が遅れようとも、どんな一流選手であろうとも、一分でも遅れれば失格になるのが大会規定。

少年は、また失意の中で半年かけて故郷に帰るのだった。

この話は、私は「明日が入試」という日に生徒に話す。

「最後の詰めの詰め」。これまで万全を期したいものである。

2010年12月 1日 (水)

056 桑田投手は高校時代、人知れずトイレ掃除をしていた

元巨人の投手の桑田真澄さんがPL学園に入学して、寮生活をしていた時の話である。

寮では起床時間が6時だったのだが、桑田さんは5時半に起きて、寮のトイレ掃除を続けた。著書を読むと、高校3年間ずっとというのではなく、夏の大阪府大会が始まる100日前からであったらしいが、それでも毎年3ヶ月以上も毎朝寮のトイレ掃除をしていたということだ。

すごいなと思ったのは、桑田さんはこのトイレ掃除を誰から強制されたわけでもなく、自分で決めて、そして秘密で行っていたということだ。

「よーし、俺は明日からトイレ掃除をするぞ!」と宣言したわけではない。人に宣言すると、「言ったからにはしないと」といわばメンツを原動力とすることもできるが、それもしなかった。

桑田さんはこう語る。

1年生の時などは、先輩達のユニフォームの洗濯などで寝るのは深夜1時過ぎだったから、睡眠時間は4時間ぐらい。でも、今日は2階、明日は3階と決めて、毎日違う場所のトイレを一心不乱に掃除していた。当時はほとんどチームメイトも知らなかったと思う。できるだけ見つからないように努めた。(『心の野球』 桑田真澄 幻冬舎)

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