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2010年11月

2010年11月30日 (火)

055 池間哲郎さんが私たちに一番望むこと

池間哲郎さんという人がいる。

これまで、ずっとアジアの国々の子ども達のために井戸を掘ったり、学校を建てたりしてきた。

その池間さんが数年前に私が勤めている中学校に講演に来てくださった。

ビデオ会社を経営されているということで、大きなスクリーンに映し出される映像の前に立ち、池間さんは語り出したのだが、その映像に映し出された光景と、子どもたちの姿に圧倒された。

フィリピンの首都マニラ。その中にある広大なゴミ捨て場。その中に、大勢の人たちが暮らしている。3万人いたこともあるという。なぜそこに暮らしているのかというと、そのゴミ捨て場の中から、少しでもお金になりそうなものを掘り出すのだ。スクリーンには煙がたちこめ、悪臭がスクリーンを通してこちらにやってきそうである。

ダンプカーがゴミを運んでくる。そして、ザザーっとゴミを捨てる。すると、子どもたちが駆け寄ってきて、ゴミの中からビンなどを拾い集める。スクラップ業者に売るのだ。一日必死に探して、売って、数十円にしかならないそうだ。

中にはまだ小学校にも行かない年齢の子もいる。環境は劣悪。食べ物がないだけではない。靴も買えないので裸足で歩く。当然ガラスの破片などでケガをする。傷口からばい菌が入り、破傷風などの病気にかかる。大人になれないまま死んでしまうことが普通にあるそうだ。

事実、池間さんが仲良くなった小さな少年。写真を見れば、6歳ぐらいだろうか。翌年、池間さんがマニラを訪れたときには、もうこの子の姿はなかったそうである。

池間さんのお話は、まだまだ続いた。女の子に生まれたために身売りされるタイの少女。空腹をまぎらわせるためにシンナーを吸う少年。厳寒のモンゴルでは、親に捨てられマンホールで暮らす子どもたち・・・。

知らなかった事実に圧倒され続けた。

池間さんは講演会の最後の方で、聞いてる中学生に向かってこんなことを言われた。

「今から、お話を聞いてくれた君たちに一番伝えたいことを言います。」

私は、その瞬間、こう考えた。

もう少し、アジアの子供たちの置かれている現状をよく知り、自分たちに何ができるのかを考えてみよう、と言われるのかな、と。

それは違った。

池間さんはこう語った。

「まず、自分たちが一生懸命に生きることです。」

池間さんは著書の中でこう語っている。

子どもたちの話をして、映像を見せて、かわいそうだから助けてちょうだいと言っているのではないのです。誤解しないでください。(中略)一番大事なボランティアは自分自身が一生懸命に生きることなのです。一生懸命生きる人じゃないと、人の痛みや悲しさは伝わってこないと思うのです。誰かのため、人のためではなく、自分自身が懸命に生きる。それが私たちにできる一番大事なボランティアなのです。(『あなたの夢はなんですか 私の夢は大人になるまで生きることです』 池間哲郎 至知出版社 p.171-172)

今の私は一生懸命に生きているだろうか・・・。

2010年11月29日 (月)

054 人生大逆転の人を集めてみました

「人生大逆転」の人を集めてみました。

○ 65 歳になってからもらった社会福祉の金額105 ドルの少なさに憤慨する。
○自分が人のためにできることはなんだろうかと考える。
○チキンの調理法をあちこちのレストランに伝授したいと考える。
○レストラン回りをはじめる。しかし、断られ続ける。その間(2 年間)、古いオンボロ車でアメリカ中を駆け回り、夜は後部座席で眠る。
○ 1009 回断られて、1010 軒目でようやく採用される。
       ↓
     カーネル・サンダース

○「世界で一番幸せな場所」を作ろうとし、資金提供を願い出た。
○302回断られた。
       ↓
    ウォルト・ディズニー

○ミュージシャンを志し、高校を中退して音楽活動。
○場末の酒場で、ピアノの弾き語りをはじめるが、客の関心集めず。
○金がなく、コインランドリーで寝泊り。精神的にもすさむ。
○唯一の支えの恋人も去っていく。
○自殺も考え、精神科の病院で相談。ものの見方ひとつで人生は変わる
ことを学ぶ。
○ミュージシャンの夢に向けて再出発。
      ↓
   ビリー・ジョエル

○高校2年のとき、バスケットボールのチームからはずされた。
○この経験をいかし、さらに大きな目標を設定した。
      ↓
   マイケル・ジョーダン
ここまでは『人生を変えた贈り物』(アンソニー・ロビンズ著)を参考にしました。


○ 22 歳、事業に失敗。
○ 23 歳、州議会選挙に落選。
○ 26 歳、恋人と死別。
○ 27 歳、神経衰弱をわずらう。
○ 29 歳、州議会議長選挙に敗れる。
○ 34 歳、下院議員の氏名者争いに敗れる。
○ 37 歳、下院議員に当選。
○ 39 歳、再選をめざすもまたも氏名者争いに敗れる。
○ 46 歳、上院議員選挙に敗れる。
○ 47 歳、合衆国副大統領をめざすも落選。
○ 49 歳、上院議員選挙に落選。
      ↓
  エイブラハム・リンカーン

○4歳までしゃべれなかった。
      ↓
    アインシュタイン

○音楽教師に「作曲家として見込みがない」と言われた。
      ↓
    ベートーベン

○科学の成績が「普通」。
      ↓
    パスツール
ここまでは『7つの習慣ティーンズ』(ショーン・コヴィー著)を参考にしました。


○売れない俳優時代、新聞記者からのインタビューに「俺はハリウッドのドル箱スターになるよ」といって、失笑を買う。
      ↓
 アーノルド・シュワルツネッガー
 『加速成功』(道幸武久著)を参考にしました。

○貧困家庭に生まれる
○顔面麻痺で言語障害となる。
○イジメにあう。
○両親が離婚する。
○何十回も退学処分を受ける。
○極貧の中で勉強を続けるが、50回以上オーディションで不合格になる。
       ↓
     シルベスタ・スタローン
 『情熱思考』(是久昌信著)を参考にしました。

2010年11月28日 (日)

053 「きっと、もう一度自分を選ぶわ」~アシュリーさんの信じられない言葉

君は800万人の中で1人、という確率と聞いてどう考えるだろうか。

今年の文化祭で、みんなで力を合わせて作ったモザイク壁画。これは小さな色紙が48万個集まってできたものだった。小さな色紙を一枚一枚貼り付けるのは大変だった。学年全部の生徒が一生懸命、何時間もやって、やっと完成できた。
Photo

800万という数は、今年のモザイク壁画でいえば、あと15回以上作らなければならないという、考えただけでも気が遠くなる数だ。

その中の1枚。それが800万人の中の1人ということになる。

君や私が800万人に一人という難病の中で生きていく宿命を背負ったとしたら、私たちは自分の運命についてどう考えるだろうか。

アシュリー・ヘギさんという女性がいる(正確には「いた」)。

アシュリー・ヘギさんは、800万人に一人という「プロジェリア」という、普通の人の10倍の速さで年をとってしまう難病にかかった。

プロジェリアの方の平均寿命は13歳ぐらいと言われている。

普通だったらかわいい盛りの3歳のころから髪が抜け落ちるなどの老化が始まる。

君たちと同じ歳のころには、死はすぐそこに迫っており、すでに髪や歯はすべて抜け落ちていることはもちろん、白内障や脳卒中、動脈硬化、心臓疾患などの病気と闘わなければならない。

以前、日本でもアシュリーさんの様子を伝えるドキュメンタリー番組が何度か放映された。

番組の中では、「私が悲しい顔をすると、みんながハッピーになれない」と笑顔を絶やさず前向きに一生懸命に生きるアシュリーさんの姿があった。

同じプロジェリア患者であり、人生を支え合って生きてきたボーイフレンドのジョンさんとの死別。

インターネットを通じて、年下のプロジェリアの子どもたちを励ましている姿。

感動しました。

そんなアシュリーさんが、私が見たドキュメンタリー番組の最後の方で信じられない言葉を言った。

インタビュワーが、「もし生まれ変わるとしたら、何に生まれ変わりたいですか」と聞いたときである。

「きっと、もう一度自分を選ぶわ」

「どうして?」

「うーん・・・私であることが好きだから。」

800万人の中の一人に選ばれてしまったために、できなかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと、自分の運命を呪ったことはたくさんありすぎるくらいにあったのではないか。

それでも、もう一度今の自分として生まれ変わりたいと思ったのはなぜだろう・・。

アシュリーさんは、残念ながら2009年4月に17歳で亡くなられた。

実は、我々からすれば考えられない不幸と向き合われた方には、アシュリーさんのような言葉を語る人は他にもいる。

これから先、この学級通信でも紹介していくが、どうしてそういう考え方、生き方ができるのかということを、一緒に考えていきましょう。


2010年11月27日 (土)

052 松井秀喜のすごさ~ある若手選手は見た

入学式の校長先生のお話の中で、アメリカのメジャーリーグで活躍している松井秀喜選手の話が出てきた。

松井選手はプロでやっていこうと思ったときに、「毎日どんなことがあっても素振りだけは欠かさない」ということを決意して、実行してきたという話だった。

私も次の話を知っている(たぶん読売新聞のスポーツ欄の記事で読んだと記憶している)。

ジャイアンツのある若手選手の話である。春のキャンプで、その若手選手は自分なりに努力を重ねていた。毎日の練習のあとも、夜の素振りなどをやってきた。若手選手本人も「自分はがんばっている」と思っていた。

ある週末のこと。

彼は「毎日こんなにがんばっているのだから、週末ぐらいは街に出て騒いでもいいだろう」と思った。そして、ひとしきり夜の街で飲んで騒いだ後、宿舎の門限が迫っていたのであわてて宿舎に帰ってきた。

そしてその若手選手は宿舎のエレベーターの前であるものを見た。

松井秀喜選手が、片手にバットをもって、夜の素振りが終わった姿でそこに立っていたのを。
 
若手選手が自分は毎日一生懸命練習している、今日くらいはハメをはずしてもいい、と思って遊んでいたその時、松井選手は汗だくになって素振りをしていた、というのである。

「毎日する」といったん決めたことを、当然のように実行する。そして例外の日を作らない。これが「本物」になれるかどうかの分かれ道なんだろうなあ。

2010年11月26日 (金)

051 「そうだったんだ!」と気づくこと~パラダイム変換

このお話は『7つの習慣ティーンズ』(ショーン・コヴィー著)のp23-24 に書かれている逸話を元に作りました。

次のお話の後の問題に答えてください。

ある女性ジャーナリストのお話です。

その女性は、仕事で海外を駆け回ったあと、疲れた体でロンドンのヒースロー空港に降り立ちました。飛行機を乗り換えるために、この空港で時間をつぶすことになりました。彼女は疲れた体で、大きなスーツケースをひきずりながら、売店でクッキーを一袋とコーヒーを買って、空港の待合室で腰を下しました。

そして一息つきながら、テーブルの上に置いたクッキーを食べていた時のことです。

隣の若い男性が、彼女の食べているクッキーの袋に手を伸ばして、クッキーを食べ始めたではありませんか!身なりもきちんとした男性で、とてもそういう人には見えません。

彼女はムッとしながらも、クッキーを食べ続けました。しかし、隣の男もクッキーを取るのをやめませんでした。

クッキーはとうとう最後の1個になりました。男は、その最後のクッキーを半分に割って、半分を彼女によこし、そして席を立ってどこかに行ってしまいました。なんと失礼な男でしょうか。

彼女はムッとしながらも次に乗る飛行機に乗り込み、座席に座りました。そして、ふと自分のハンドバックの中を見たのです。

さて、みなさんに質問です。彼女は何を目にしたのでしょうか?

答えは、彼女のハンドバックの中には、さっき買ったクッキーの袋が入っていたのです。

そうです。さっき、空港の待合室で食べていたクッキーは、彼女のではなく、男性のものだったのです。

さっきまで、この男は、他人のクッキーを断りもなく食べる、大変失敬な男だったのです。
ところが、実は人のクッキーを食べていたのは、彼女だったのです。
それにもかかわらず、男性は最後のクッキーを彼女に分けてくれたのです。

大変失礼な男から、とても優しい男性へと、見方がガラっと変わったのです。(自分のやったことがとても恥ずかしいことだということは抜きにして)

このように、ものの見方、考えかたが変わることを「パラダイム変換」といいます。上に書いたような出来事は極端な例でしょう。でも、これに近いことは、日常生活の中で気をつけていると、けっこうあることではないでしょうか。

私はある先生が、朝早く来て、毎日毎日学校内を掃除している姿を見て、「普段はあまり目立っていらっしゃらない先生だけど、どんな日も続けておられるのは、本当にすごいなあ」と思いました。

掃除をされている先生の姿を見た後の、その先生に対する印象はガラッと変わりました。

みなさんにもこういうことはあるのではないでしょうか?

2010年11月25日 (木)

050 大人になった君たちからほめられたい

私は以前の職場で、先輩教師のY先生という人に、大変お世話になった。今から書く話はY先生から聞いた話である。

Y先生が以前、とても厳しいある先生と職員室で机を並べていた。その厳しい先生は、特に提出物に厳しかった。提出日にプリントを出さない生徒は、必ず家まで取りに帰らされていた。

だから、というわけでもないが、その先生は生徒からとても煙たがられていた。いろいろな生徒が、その厳しい先生の悪口を言っていたそうだ。その悪口を耳にしたY先生は、もちろん生徒と一緒になって、その厳しい先生の悪口を言うことはなかったが、頭の中では「あの先生厳しすぎっちゃ。だからこんなに生徒に嫌われるんじゃ。ばかじゃのう。」と思っていたそうだ。

そして、何年かたった。Y先生と、その厳しい先生とはまだ同じ職場にいた。そんなある日、若い女性が、職員室にいる厳しい先生を訪ねてきた。若い女性は、昔その先生が受け持った生徒だった。その女性が中学生だったころのことはY先生もよく覚えていた。その女性は、厳しい先生にこう言ったのだ。

「今日は先生にお礼を言いにやってきました。今の職場で私すごくほめられているんです。仕事がきちんとしていると。本当は私けっこうルーズなのに、こうやってほめられるのは、考えてみたら、中学校のときに先生から提出物なんかを厳しく指導していただいたからと思って、今日お礼を言いにきたのです。」
 
Y先生は目を丸くした。

というのは、その女性は、中学生のころ、その厳しい先生のことを最も嫌っていた生徒の一人だったからである。

Y先生は「お前、中学生の時は思いっきりその先生の悪口を言ってたじゃないか!」と言いたくなったそうである。

いい話だと私は思った。今の生徒に将来の力をつけることができたら、こんなにうれしいことはない。大人になった君たちからほめられると、うれしいだろうなあ。

2010年11月24日 (水)

049 部屋が片付く方法教えます

君の家の自分の部屋はかたづいているか?自分の専用の部屋がなくても、自分の机とか、自分の物を置いておくスペースはあるだろう。そこがきちんとかたづいているか?

はっきりいって、部屋がぐちゃぐちゃだったら、勉強する気にならない。勉強を始めようという気にならないのが普通だ。だって、「さあ、はじめよう」と思っても、「国語のワークどこやったっけ?」とか、「数学の答のプリントを探さないといかんなあ」とか思ったら、それだけで勉強を始めるのが、おっくうになる。これは、みんな同じだと思う。

私も整理整頓が大嫌いだった。したがって、つい最近までの私の家の自分の部屋はメチャクチャな状態だった。そのくせ、「整理法」に関する本なんかは好きなのだから変である。

整理についていろいろな方法をためしてみたけど、「これはいい!」という方法があるので紹介する。『これならできる パソコン書斎整理術(林 晴比古著)』の中に書いてある方法である。それは・・・


自分の部屋に入るたび、または机にすわるるたびに机上にあるものを何かひとつだけ片づける。


という方法だ。

片づけるのはどんなに小さなものでもかまいません。とにかく昨日より、ほんのわずかきれいになっていればいいのです。実際にはたとえば、 紙を一枚片づける。 本を一冊片づける 。ベッドの上にほうりだされたマンガ本をかたづける、 といったことです。机の上にころがっている鉛筆を鉛筆立てに立てる、ということでもかまいません。 ほんのわずかでいいわけですから「さあ片づけるか」と意気込む必要はまったくありません。負担としては何もしないのと同じです。それでも一週間もすれば、もう室内はきれいさっぱりです。これは本当にそうなります。(『これならできる パソコン書斎整理術(林 晴比古著) ソフトバンク出版』

私からも、「これは本当にそうなります」と言っておこう。やってごらん。

2010年11月23日 (火)

048 続けてよかった~ベンチプレスの進歩

私は陸上競技の砲丸投げとか、ハンマー投げ、円盤投げなどが大好きです。40歳になるまでは、よく試合に出ていたのですが、ここ何年もの間、ずっとさぼっていました。

去年の暮れに、「よし、もう一花咲かせるぞ!」となぜか決断し、ウエイトトレーニングも再開しました。
 
投擲(とうてき)選手にとって、ウエイトトレーニングは欠かせないものです。でも、これまでの私はあまり効果がありませんでした。なぜなら、「続かない」からです。せっかく筋力を高めても、ジムにいくのをさぼってしまい、すぐに筋力が落ちてしまい、また「一からやり直し」を繰り返す状態でした。

しかし、今回は違います。考え方を改めたのです。

この学級通信でも以前紹介した元メジャーリーガーの田口選手が、中高校生の時にやったことと、同じことをしたのです。(005 「自分との約束」を守る メジャーリーグ田口壮選手の話)

中学、高校時代の田口選手は、「毎晩家で素振りをする」という決意を立ててから、いくらやる気がないときでも、とりあえず、バットをもって素振りをする場所に行くようにしたとありました。本当にやる気がないときは、バットを持って、1回でも素振りをするようにしたと書いてありました。

私も、「とにかく仕事の帰りにはジムに寄ろう」と考えたのです。疲れていても、とにかくジムに寄る。本当に疲れていたら、腹筋だけでもして帰る、と考えたのです。

すると、不思議なもので、ジムに行って着替えると、「せっかく来たのだから、いろいろとトレーニングして帰ろう」と思うものです。

ということで、写真のように、「ベンチプレス」という種目だけとっても、70㎏のバーベルでトレーニングしていたのが、今は115㎏のバーベルが上がるようになりました。

やはり継続した努力が成果を上げたことを実感するのはうれしいものです。

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2010年11月22日 (月)

047 もし夢への努力が報われなかったら

今日、「ゴースト~ニューヨークの幻」がもうすぐテレビで放映されるというCMを見た。昔の映画である。初めて見たときは感動したなあ。

あるカップルの男性の方が、悪人に殺される。男性は死後も女性霊媒師に乗り移って、恋人を守っていくというお話なのだが、女性霊媒師を演じたのは、ウーピー・ゴールドバーグという人だ。

ウーピー・ゴールドバーグはこの作品でアカデミー助演女優賞を得た。その後彼女は「天使にラブ・ソングを…」などの映画に主演し、女優としての地位を確立する。

さて、彼女が語った心に残る言葉が、田坂広志さんの著書で紹介されている。

ウーピー・ゴールドバーグが、若者達が俳優・女優を夢見て汗を流して学んでいるニューヨークのアクターズ・スタジオを訪れたときのことである。

一人の若者がウーピー・ゴールドバーグにこう質問した。

「俳優になるための、私たちのこの努力はいつか報われることがあるのでしょうか?」と。

この質問に対して、ゴールドバーグは、温かいまなぎしで答えています。

「いま、あなたがたは、いつか役者になりたいとの夢を持ち、素晴らしい仲間とともに、励ましあい、助けあいながら、毎日、その夢を求め、目を輝かせて生きているのでしょう」

その言葉に対して、若者たちは、うなずきます。
その若者たちを見つめながら、ゴールドバーグは、静かに語りました。

「そうであるならば、あなたがたの努力は、既に報われているではないですか」(『自分であり続けるために』 田坂広志著 PHP研究所)

田坂さんは、この言葉が夢や目標をもつということの本当の意味を教えてくれると語る。

それを追求する課程の中に意味がある、そんな夢や目標が見つけられたら本当にすばらしいことだなあ。

2010年11月21日 (日)

046「A社のパソコンすぐ壊れるんだよね」の恐さ

『影響力-その効果と威力』(今井芳昭 著) の中に、「評判」や「噂」のもつ力について教えてくれる箇所がある。

著者の今井さんが、パソコンを買おうと考えて、電器店のパソコン売り場を訪れたときのことである。

パソコンを物色していたら、その売り場にいた別のお客数名の会話の内容が聞こえてきた。

「A社のパソコン、すぐ壊れるよな・・・」

今井さんは、このあと、パソコンを選ぶときに、A社のパソコンを選択肢からはずそうとしていた自分に気がついたという。さっきの声の主は、まったく見知らぬ人であるにもかかわらず・・・。

僕たちは、噂や評判を鵜呑みにせずに、自分の頭でものごとを判断することが大切である。そうしないと偏見を生んでしまう。

その一方で、「評判」のもつ力についても考え、自分の属している集団の評判を高める言動、また評判を落とさない言動もまた必要である。

2010年11月20日 (土)

045 中学校時代は補欠だった大野豊投手

君たちは元プロ野球選手(広島カープ)の大野豊さんを知っているか?現在は広島東洋カープの投手コーチを務めている。

歴史に残る名投手である。特に、42歳という年齢で1997年に最優秀防御率のタイトルを獲得したことが高く評価されている。また、二年連続防御率1点台をマークしたのは、この大野さんとダルビッシュしかいない。

『全力投球』という大野さんが書いた本を読んだ。大野さんの中学時代のことを、この本で知ったので、君たちにもぜひ紹介したい。

大野さんは小学校を卒業すると、島根県出雲市の中学校に入学した。足が速いという自信があったので、迷わず陸上部に入部したそうだ。

しかし、今の君たちと同じ中一の夏休み前に、市の大会の1500mに出場したら、自信があったにもかかわらず結果は11位。小さな市の大会なのに、自分より足が早い人間が10人もいることにショックを受ける。

そこで、陸上はあきらめた。練習にも熱が入らなくなり、部活もサボるようになった。

そして、あっさり陸上部を退部して今度は野球部に入る。

なんとか2年生からピッチャーをさせてもらうが、一つ先輩と一つ後輩に、自分よりいいピッチャーがいたので、試合で投げることはほとんどなかったという。つまりは補欠だったのだ。

そんな大野さんが最後には投手王国広島カープの中心選手になり、引退後はアテネオリンピックや北京オリンピックで投手コーチとして日本代表の投手陣を指導するまでになるのだから、人生は分からないものである。

2010年11月19日 (金)

044 何でも黄金に変えてしまう黄金石の話

佐藤富雄さんが書いた本『超人手帳』に次のような話がある。私が好きな寓話である。

あるところに黄金石を探している男がいた。
黄金石とは、それに触れるすべての物を黄金に変えてしまう魔法の石である。

男は長年黄金石を探し続けたが、ある時、黄金石が確実に存在する海岸があるという情報を得た。

男はその海岸に立った。足下を見ると、見わたす限り小石が転がっている。

黄金石というのは、見た目は普通の石と全く変わらないらしい。手に持ってみると、それが黄金石かどうかが分かるのだそうだ。

男は海岸の石を一つ一つ手にとって調べることにした。一度調べた石をもう一度拾ってしまうことがないように、一度手にした石は海に投げ込むことにした。

一つ拾っては、その石を海に捨てる。それをずっと繰り返した。

ある日のこと。

男はとうとう黄金石を見つけた。

「やった!見つけたぞ!!」しかし、次の瞬間、男は黄金石を海に投げ込んでしまった。

この寓話を聞くと、何かドキッとしないだろうか。習慣として自分の身についてしまって、無意識のうちにやってしまうことはないだろうか?

2010年11月18日 (木)

043「反省」と「ざんげ」と「後悔」

田坂広志さんの本の中で「ああ、そうだなあ」と感銘を受けたことがある。

私たちはよく「反省」という言葉を使う。

「反省します」と言ったりするけど、実際に行っているのは「ざんげ」であったり、「後悔」であったりするのではないか、と田坂さんはいうのである。

「ざんげ」というのは、たとえば「私が悪いのです」と言ったり、振る舞いを神妙にすることによって、もうこれ以上、他の人から「やーやー」責められるのを防ぎたいという心理があるというのだ。つまり、「ざんげ」とはまわりの人の目を気にして行うものであるのだ(もちろん、まわりの目を意に介さないで、失敗してもヘラヘラしているのも、それはそれで考えものだが)。

また、「後悔」は、「あのとき、ああすればよかった」と悔いることであるが、これは過去に対する、いまさらどうしようもないことに対する思いである。

本当の意味での「反省」というのは、他人のためでなく、自分のためにすることである。また、「過去」へ対してではなく、「未来」に向かってするものである。

つまり反省とは、本来大変前向きなものであるというのだ。

言われてみれば、確かにそうだなあと思う。私も子どものころから、親や先生から「反省しなさい」と言われて、実は「後悔」と「ざんげ」ばかりしてきたような・・・。

2010年11月17日 (水)

042 イチローが語る「これだけは誰にも負けていない」という練習は・・

奥村浩治という人がいる。プロ野球のオリックスでバッティングピッチャーを務めた人である。「イチローの恋人」と言われるぐらい、イチローから信頼を寄せられていた打撃投手である。

その奥村さんが、著書で書いていたことが心に残った。

奥村さんはイチローにこう質問したことがあるそうだ。

「いままでで、これだけは誰にも負けていないと胸を張って言える練習が何かある?」と。

イチローはこう答えた。

「高校の時に3年間寮に入っていて、寝る前に1日10分だけ素振りをしていました。その10分の素振りを1年365日、3年間続けました。これが誰にも負けていないと思える僕の練習です」(『一流の習慣術』奥村浩治 ソフトバンク新書)

たった10分。でも、それが3年間毎日。これができたことが「誰にも負けていない」と胸を張って言える練習なんだ。

ある日、急にやる気になって300本素振りをすることが何回かあるより、たった10分、暑い日も寒い日も、体調が悪い日もケガをした日も、気分がひどく落ち込んだ日も、素振りをしてから寝るということ。これが自信の元なのか・・・。

2010年11月16日 (火)

041 家の手伝いを1000日続けて全国大会優勝

陸上部で、すごく強い中学校がある。それは、大阪府の松虫中学校という。

そこには、かつて有名な先生がいた。名前を原田隆史先生という。毎年のように、全日本中学校陸上競技選手権で優勝する選手を出してきた。以下は原田先生の講演会で知った話。

ある選手が砲丸投げで日本一になったときのこと。その選手は優勝後のインタビューの中で、「家で皿洗いを1000日続けました。そのおかげで優勝しました。」と答えた。

それを聞いたある新聞記者は、「へー、皿洗いで手首が鍛えられたのだろう」と考えた。
 
君はどう思うか?
 
実は違う。
 
この優勝した選手のお家の皿洗い1000日には次のような意味がある。
  
①一度決めたことを一日も休まず続けること。
②お家の手伝いは、日ごろのお家に方に対する感謝の気持ちがあること。
③お家の手伝いは、友達や先生が見ていない。だからサボろうと思えばサボれる。そういうことが休まずできるということは、強い心をもっているということ。
 
一度やると決めたお家のお手伝いを1000日本当に欠かさずに実行する過程で、心が鍛えられたのだ。私も何か始めようかな?

2010年11月15日 (月)

040 柔道日本代表がフランスの柔道会場でしたこと

数年前、ラジオの番組で、柔道の日本代表チームのヘッドコーチ(当時)の斉藤仁さんという人が話していたことが印象に残ったので、生徒に次のように学級通信で伝えてみた。

日本代表チームがフランスで行われた世界選手権に出場したときのことである。ちなみに、フランスは柔道がとても盛んな国である。

そのフランスで開かれた世界選手権でのこと。

日本代表チームの選手やコーチたちは、国内の大会はもちろん、海外遠征などでも、使用した会場の観客席などを、みんなでそうじするのだそうだ。それだけでもすごいと思っていたのだが、話はそこで終わらなかった。

ヘッドコーチの斎藤さんは次のような出来事を続いて話してくれた。

フランスの会場をそうじしていた日本代表チームに、現地のフランス人が抗議してきたそうである。その抗議の内容は、「日本チームが会場をそうじすることで、そうじ会社の人(もちろんフランス人)の仕事を奪ってしまうことになる」というものである。

日本人は美徳としてやっているそうじが、フランスのそうじ会社で働いている人の仕事を奪ってしまう、つまり賃金を奪ってしまうことになるのか・・・。

こう文句を言われたら君ならどうする?

私も困ってしまうところだ。

斎藤さんを中心とする日本チームはどうしたか。

次のようにしたのである。「だったら、そうじする人がそうじをしやすいように、私たちが、ゴミをまとめておきましょう。空きビンなら空きビン、紙くずなら紙くずをそれぞれまとめて置いていてあげましょう。」そして実行したのである。

私たちは「日本一の選手でも、そうじをきちんとするのか」と思いがちだ。しかし、結局のところ、そうじをきちんとできる人間だから日本一になれるのではないか。

2010年11月14日 (日)

039 もし目が見えていたら刑務所にいたかもしれない

新垣勉さんというテノール歌手がいる。新垣さんには、私や君たちが普通に持っている大きな二つのものがない。

それは、「家族」と「視力」。

視力をなくしたのは生後すぐ。助産婦さんから家畜を洗う劇薬を点眼されるという医療ミスによって失明。

お父さんは、沖縄に駐留していたメキシコ系アメリカ人の軍兵。新垣さんが1歳のとき、離婚してアメリカに帰ってしまった。

新垣さんの母親は再婚するために、勉さんを祖母に預け、家を出た。視力障害者の子どもがいては再婚しにくいと考えて、母のことは「年の離れた姉」だということになった。そして、勉さんは「祖母」のことを「母親」と思いこんで育ってきた。

祖母は優しい人だった。歌が好きな人だったので、勉さんも自然に歌を覚えていった。

あるとき、勉さんは自分の生い立ちと、自分の目のことについて、本当のことを知るようになる。勉さんは次のように語る。

母を殺したい。 父を捜し出して殺したい。 そして自分も死ぬ。 自分の生い立ちを知ったときから、 恨みと憎しみが強くなったのです。(『ひとつのいのち、ささえることば』新垣勉 マガジンハウス)

中二のときには、優しかった祖母も亡くなる。

その祖母が死に、私は天涯孤独となりました。 なんのために生きているのか。 私は生きる価値があるのか。 井戸に飛び込もうとして、友達に見つかってしまいました。(同書)

絶望の淵にあった勉さんの最初の転機は、城間さんという牧師との出逢い。勉さんは城間さんに両親への恨みをぶつけた。そのときのことを勉さんはこう語る。

私のような人間に、泣いてくれる人がいる。 私の心は震えました。(同書)

城間さんとの出逢いによって、勉さんは牧師を目指すようになる。大学にも通った。

聖歌隊に入って声楽を学んだ勉さんは、もっと本格的に音大で声楽に取り組みたいと考えた。そして、世界的なボイストレーナーのオーディションを受ける。これが勉さんの二番目の転機になる。

ボイストレーナーのアンドレア・バランドー二先生が、この私の声を、「父からの贈り物だ」と言ってくださいました。そのとき、父への恨みが、溶けていくような気がしました。(同書)

武蔵野音大の3年生のときに、勉さんは狭心症に襲われる。命の危機を脱した勉さんは、「私というものを生んでくれた母に感謝し、母を心の底から許すことができました」と語る。

そして今、勉さんは「神様は私から光を奪ったけれど、声をプレゼントしてくださいました」と話す。

それだけではない。「僕が目が見えていたら、父や助産婦さんを捜し出して殺して、今頃ぼくはひょっとして刑務所の中にいて、一生出てこれなかったかもしれない」とも語っている。

勉さんの今のこれらの言葉から伝わるのは感謝の気持ちである。「殺したい」という憎悪が「感謝」に変わることがあるのだ。

「憎しみ」を「感謝」に変えてくれたものは、「出逢い」であると私は思う。出逢いにはこれほどまでに大きな力があるのだと改めて思う。


2010年11月13日 (土)

038 カレリンと読書

今、私たちの学校では「朝読書」に取り組んでいる。朝、し~んと落ち着いた雰囲気での読書もすばらしい。「朝読書」以外の時間で、ちょっとした時間ができたら机の引き出しから本を取り出して読み始める人も多く、これこそが「朝読書」の効果かなと思っている。

ところで、カレリンという人を知っているだろうか。

オリンピックにおいてグレコローマンレスリング130kg級で1988年、1992年、1996年と三大会連続で金メダルを獲得。その前人未到とも称された大記録と圧倒的な強さから、海外マスメディアでは"The Experiment"、日本では"霊長類最強の男"の異名で知られる。(ウィキペディアからの引用)
  「人類最強」ではないのだ。「霊長類最強」なんだ。マウンテンゴリラよりも強いのである。

なにしろ生まれた時の体重が7㎏だったとか、背筋力が400㎏を越えていたとか、100㎏を超す冷蔵庫を一人で担いで、マンションの1階から15階まで階段を登ったとか、とんでもない逸話の宝庫のような人である。

『チャンスと出逢うための人脈大改造』(後藤芳徳著)のなかに、カレリンが読書に関して含蓄のある発言をしている。

「レスリングで強くなるにはどうしたらいいか?」と質問を受けて、こう答えたのである。
 
「(強くなるには)読書が必要だ。」
 
その理由について彼は「レスリングでは、二度と同じ状況は起こらない。その刻一刻と変化する状況を正確に認識するためには、あらかじめ自分の中にボキャブラリーを蓄えておかなければいけない」と語ったそうである。

2010年11月12日 (金)

037 アメリカの大学のカフェテリアで得た転機

これまで有名な人たちの「転機」について書いてきた。今日は、有名ではない人の話。私の尊敬しているある先生の話である。A先生としておこう。

A先生は、車やバイクがとても好きだそうだ。若いときもフェアレディZに乗って学校に通勤していたらしい。彼はバイクも好きでツーリングにもよく行ってたらしい。

さて、A先生は英語の先生なので、自分の修行のためにアメリカに留学したときのことである。その留学生活の中で、アメリカ人が物を大量に消費する社会であることを目の当たりにした。大学の食堂では、バイキング方式で食べる食事を大量に取って、そして食べ残した料理をバケツの中にドサッと捨てる。また、口の周りなどを拭くための紙ナプキンをわしづかみに取る。

そんな物を大切にしない、資源を軽視したともいえるアメリカ社会の一面を実際に見て、「これはよくないことだ」と彼は考えた。そして、考えてみれば自分の愛車のフェアレディZも、スポーツカーとして大量にガソリンを消費する車であることに思いを至らせた。そして、なんと日本に帰って、あれだけ好きだった自分のZを売って、中古の軽自動車に買い換えたというのだ。

転機は日常の中にある。普段の生活の中に自分を変えるきっかけは意外に多いと私は思う。アメリカに留学する人は多いけど、食堂の風景から自分を変えるきっかけをつかむ人もいれば、そうでない人もいる。「転機」を得るというのは、「気づく力」が必要なのだと改めて思う。

2010年11月11日 (木)

036 刑務所の壁が教えてくれたこと~工藤良さんの転機

工藤良さんという人がいる。まずは、下の人物紹介を読んでほしい。

1977年(昭和52年)生まれ。小学校2年の時から荒れ始め、中学校2年で暴走族「極連會」に加入、18歳で3代目総長となる。その後、暴走行為などで少年院に入院するが、22歳の時に覚醒剤の現行犯で逮捕。

拘置所の中で自責の念から更生を決意して、2002年(平成14年)にボランティア団体GOKURENKAIを結成し、かつての仲間とボランティア活動を始める。(中略)

田川市暴走族離脱促進アドバイザー、田川市青少年健全育成推進員として、保護者や問題を抱えた青少年のサポートや相談活動に取り組み、中学校や高校などでの講演活動で全国を回る。2005年(平成17年)3月、子どもたちの駆け込み寺「田川ふれ愛義塾」を設立し、学校・社会への復帰や自立を支援するなど、青少年の健全育成に向けた活動を展開。(ウィキペディア「工藤良」から引用)

元暴走族のリーダーだった工藤さん。

この工藤さんの講演を聞いたことがある。

覚醒剤所持で逮捕されたときのことである。工藤さんは一人で刑務所の中の壁と向き合った。次の日も次の日も壁と向き合った。

その中で、工藤さんは「自分はいったいどうなっていくのだろう?」「このままでいいのだろうか?」と自問自答を繰り返した。そして、最後に更正を決意した。

刑務所から出ると、すぐに自分が属していた暴走族を解散し、人のため社会のためになる活動をしようと仲間たちを誘った。そして清掃などのボランティア活動を始める。その後福岡県で様々な問題を抱える青少年の更正に尽力するようになった。

たった一人で刑務所の壁をみつめながらの内省が工藤さんを更正させた。誰が言ったかは分からないけど、「『孤独』の対義語は『無知』である」という言葉がある。工藤さんの人生の転機は孤独の中で訪れた。

2010年11月10日 (水)

035 「そうか、先輩も苦しいんだ!!」山口良治さんの人生を変えた気づき

山口良治さんが講演会で話してくれたことで心に残ったことがある。
山口良治さんは、京都市立伏見工業高等学校ラグビー部総監督であり、映画・TVドラマ『スクール☆ウォーズ』のモデルとなった元教師である。ウィキペディアのページはこちら

言わずと知れた山口先生の偉業はさておいて、講演会で「へえ~、そうだったんだ」と印象に残ったことがある。

山口先生の人生を転換させた、気づきの話である。

意外だったのだが、ラグビー元日本代表の山口先生は少年時代は走るのが遅かったらしい。中学生時代も所属していた野球部でキャプテンをしていたものの、足が遅いために、運動会の部活対抗リレーにも出させてもらえなかったそうである。

その後ラグビーに出会い、紆余曲折を経て、日体大の2年生に編入する。

そこで、待っていた猛練習。

合宿でのできごとだった。

炎天下の中、チーム全員でダッシュの繰り返しを何度も何度もやっていた時のこと。当時は水分補給もできなかったし、暑くて暑くて、もう地獄だったそうだ。

そんな中、いつまでも続くダッシュの繰り返し。すごくつらい中、山口先生はあるものを見た。

それは、ほかの選手たち、特にいつもは、下級生たちに鬼のようなしごきを与えるあの、先輩たちの苦しそうな顔。

先輩の苦しそうな顔を見る前の山口先生は、「もう走れない・・」「あかん・・だめや・・」と思っていた。しかし、先輩の苦しそうな顔を見て、「なんや、先輩たちもきついんやないか、死にそうな顔をしているやないか」と気がついた。

このときを境に山口先生は変わった。自分から走り出した。

日体大のスタートは四軍だった。でも、この合宿を契機にして、あれよあれよと一軍にまで上っていった。

この合宿中で、先輩の苦しそうな顔に気がつき、「ものの見方」を転換したことで、それから後の日本代表までつながっていくのである。

山口先生は「気持ちのもちようで何にでもなる」と語ってくれた。

2010年11月 9日 (火)

034 ピカソのデッサン

君たちは、「ピカソ」という画家を知っているだろうか。まあ、名前は知っているかもしれない。

私も絵のことは分からない。ピカソと聞いて、「何やらわけの分からない抽象的な絵を描いた人だけど、絵にはすごい値段がつく人」というぐらいなものである。

私が高校生の時に社会の先生が、「ピカソは、抽象的な絵を描くけど、実は写実的なデッサンはすごくうまい。メチャクチャうまい。そういう基礎があってこそ、抽象的な絵がかけるんだ」と語ってくれたことはよく覚えている。

ピカソのデッサンを見てみよう。インターネットの画像検索で、「ピカソ デッサン」と入力してみると、たちどころに多くの作品を目にすることができる。たとえばここ。(「小泉の雑記帳」)

ピカソは、天才画家として名高いが、少年時代はデッサンの練習で使った紙が膨大な量になり、その紙で、ひと冬の間ストーブを燃やせたそうである。

実は、各分野の「天才」と言われる人を多面的に研究した人がいるが、その人によると、「天才」と「そうでない普通の人」との違いは、素質ではなく、「それにかけた時間」の差でしかないというのである。

人は「天才に生まれる」のではなく、「天才になる」のだなあと思った。

2010年11月 8日 (月)

033 「幸せな人生に感謝している」~日航機事故の遺書から

日航機事故というのを知っているだろうか?昭和60年8月12日(もう君たちが生まれるずっと前のことである)に日航のジャンボ機が、御巣鷹山というところに、お盆前の多くの乗客を乗せたまま墜落したという事故である。

異変をきたして、墜落しつつある、その飛行機の中で、家族に向けて遺書を書いた人がいる。河口博次さんという人である。下の遺書を読んでほしい。

マリコ 津慶 知代子 どうか仲良くがんばって ママをたすけて下さい パパは本当に残念だ きっと助かるまい 原因は分からない 今5分たった もう飛行機には乗りたくない どうか神様 たすけて下さい  きのうみんなと食事したのは 最后(最後)とは 何か機内で 爆発したような形で 煙が出て 降下しだした どこへどうなるのか 津慶 しっかりたのんだぞ ママ こんな事になるとは残念だ さようなら 子供達の事をよろしくたのむ 今6時半だ  飛行機はまわりながら 急速に降下中だ  本当に今までは 幸せな人生だったと感謝している
墜落しつつある飛行機の中で、おそらく機内はパニック状態で、すぐそこに迫った死への恐怖の中、この遺書を書いた河口さんの気持ちを想像するだけで、胸がしめつけられそうになる。

私が感動したのは、最後の一文である。「本当に今までは 幸せな人生だったと感謝している」
 
私は、正直な話、もし同じような立場に立ったら、とてもじゃないけど、家族にこのような遺書を残せる自信はない。でも、この河口さんのように、今までの人生に感謝できるような人生を送りたいと思っている。

そのためには、今日も、○年○組のみんなと元気に会えて、また私の家族も、私も元気で、一生懸命仕事ができる今の自分の幸せを感じながら、今日も1日がんばりたい。

2010年11月 7日 (日)

032 桜の歩みはお母さんの足

春になると、「桜が開花するのはいつか」ということが話題になる。ニュースでも「今日は福岡で満開が確認されました。東京は○日ぐらいになる見込みです」などと話題になる。この桜の開花について、さだまさしさんが次のように著書で書いていた。

「桜前線」という言葉は最近生まれた言葉でしょうが、これは、僕の好きな言葉の一つです。

この「桜前線」、日本列島を徐々に南から北に移動していくわけですが、その速度は一日ほぼ20㎞なんだそうです。20㎞ってどのくらいの速さなんだろうと思って計算してみたら、一秒間に23㎝ちょっとなんですね。

23㎝ちょっと、というのは、大体女の人の靴の大きさじゃないですか。

つまり、春というのは、女の人の足の大きさ程の速さで、しゃなりしゃなりと近づいてくるものなんですね。(『本気で言いたいことがある』さだまさし 新潮文庫 p88-89)

このあと、さだまさしさんは、「こういうふうに教えたらどうか」という提案や、生徒時代に出会った素敵な先生たちの話を続ける。

私自身は、上の桜前線の話からこういう感想をもった。

桜前線は1秒間に23㎝進むんだ。お母さんが自分の足を尺取り虫のように、一歩一歩進む、じっと見ているとまどろっこしくなるようなスピードでも、24時間休まずにひたすら進むと、20㎞も進めるんだ。

それが10日続くと、200㎞になるし、「春」という季節の中だけでも、日本列島がほぼ縦断できるんだ。

当たり前のことかもしれないが、物事は休みなく積み重なるとすごいことになるんだなあと感じた。

2010年11月 6日 (土)

031 「私が身代わりになって死刑を受けます」

今となっては、何という先生か分からない。ある先生がどこかの中学校で「いじめ」について講演された時の記録が私の手元にある。

その先生が、アウシュビッツのユダヤ人迫害について触れ、次のように話をした(記録から)。

強制収容所で、あるユダヤ人の男性が、収容所の管理者に逆らったことで処刑されることになりました。ところがその横にいたカトリックの神父が、自分がその人に代わって死刑になると言ったんです。「その人は奥さんもいるし、子供もいるから生きていなければいけない。私は独り者だから、代わりに死にます」と言ってゆうゆうとした態度で死ぬまで一滴の水も与えられないという最も苦しい死刑になったんだそうです。(講演会の記録から・講師名不明)

このことを初めて知ったときには驚いた。身代わりという言葉はよく使うけれど、本当に命の身代わりを自分から申し出る人がいたんだ。

自分の肉親の身代わりをしたのではない。赤の他人の身代わりになったのである。

この人の名前はコルベ神父という。カトリック教会のホームページを見ると、日本の長崎で布教活動をしていたこともあることがわかった。他人の身代わりになったときのことが次のように書かれている。

元来体の弱いコルベ神父は決められた強制労働にも従事し、また収容者たちの相談役としてまた収容所内で死者がでるとお祈りを捧げ、人々に希望を与え続ける存在でした。ある日のこと厳しい収容所生活から脱走をした囚人が居ました。収容所内の規則で1人の脱走者が出ると残った者の中から10人の死刑を執行するとの決まりがありました。収容所内で無作為に10人が選ばれ死刑の中でも最も悲惨な刑、餓死刑が宣告されました。

コルベ神父は幸いその10人の中には選ばれて居ませんでした。餓死刑を宣告された10人の罪のない囚人が地下の餓死室へ歩き出したその時、列の後方に居た1人の男が叫びました「私には妻も子供も居る!死ぬのは嫌だ!」その時ある男が身代わりに死ぬ事を申し出たのです。コルベ神父でした。

地下の餓死室に全裸で入れられた10人は1滴の水さえ与えられる事無く次々に死んで行きました。14日後最後まで生き残ったコルベ神父は毒薬の注射を受け亡くなりました。そのときのコルベ神父はまるで死ぬことを喜んで望むような穏やかな表情で自ら腕を差し出し、注射を受けたと、当時の担当者が証言しています。(「森の教会 カトリックってなあに?」(http://www12.ocn.ne.jp/~orchid/KyoukaiTOP.html から転載)

とてもこの人のような行動は取れない。しかし、本当にこういう人も実在したのだと知ると、ほんの少しではあるが、自分のこれからの行動に勇気が得られる。そう思いませんか?

2010年11月 5日 (金)

030 夢を持ってはいけない?

今年の文化祭のテーマは「夢」。

展示物の中に、君たち一人一人の夢が書かれているものがあった。それを見ていると、「そうかあ、○○君は○○になりたいのかあ。がんばれよ~!!」などと、少し心が熱くなった。

ところで、次の二つの文を読み比べてほしい。

A「私はアイドルになるのが夢です」

B「私はアイドルになるのが目標です」

Aは、読んでも「へえ、そうなんだ」と思うだけであるが、Bは「おっ!」と思わせる。もうこの人は、アイドルになるために、レッスンに通ったり、オーディションも何度か受けているのかもしれない・・。

『夢を持ってはいけません』(佐々木宏著)という本を読んだ。

著者の佐々木さんは、「『夢』を持つのではなく、『目標』を持つようにしよう」と僕たちに呼びかける。

では、夢と目標の違いは何か?

佐々木さんは、「夢」には「日付」がなく、「目標」には「日付」が入っているという。

たとえば、「東大に合格する」というのは、高校3年生の1月から2月にかけてのことなので、これは「目標」になる。

日付が入ると、人はそれに向けての行動を始めるようになる。夢は努力もなにもしなくても、ぼけ~っとしてても、だれでも見ることができる。そして、結局何もしない自分がいる。

佐々木さんはこう書いている。

日付のない「夢」を持つくらいであれば、そこに日付を入れ、「目標」にかえてほしい。   

目標にかわった瞬間に君たちの真剣勝負がはじまるはずだ。

そして、その真剣勝負をする姿が人を動かし、君たちは自分の中に眠っている価値観や強みなど、潜在的な可能性を見つけることができるだろう。

夢を持てないで、もやもやとしていた君。

君は、いつまで「何もしない」 ことを続けるのだろうか。(『夢を持ってはいけません』佐々木宏 国土社 p98)

2010年11月 4日 (木)

029 年商102億の元ホームレス社長が語る「自信のカケラ」

堀之内九一郎という人がいる。リサイクルチェーン「生活倉庫」の経営者である。

故郷の鹿児島で事業を始めるが、すべて失敗。1億円近い借金を抱える。東京に出ることを考えるが、その途中でお金が突き、ホームレス生活を始めた。そして、ある転機をきっかけに、リサイクルショップ「生活倉庫」を立ち上げ、その後年商100億円を超える企業に成長させた人物である。

その堀之内さんが、「どん底」からはい上がるためにだれでもできる方法として、次のように語る。

それは、誰でも過去に一つや二つ「自信のカケラ」を必ずもっているということ。

些細なことでいいのです。高校に合格できた。中学のとき、つらかったけど駅伝大会で完走した。演奏会では緊張したが、最後までピアノを弾いた。寒い冬を半そでシャツで越した。山に登れた。

本当に何でもいいのです。そのカケラさえあれば、それを思い出して引っ張り出す。

きっとあなたにもあります。それを引っ張り出して意識することで、カケラを大きくしてください。(中略)

どんなに小さいことでも、くだらないことでも、それを達成した人には必ず「自信のカケラ」が残ります。私が自信をもって、どん底から這い上がれない人間はいないと断言するのは、この「自信のカケラ」というのは、少し思い出してみれば誰にでも見いだせるものだからです。

すでに「自信のカケラ」をもっている人は、それを思い出し、意識して大きな塊とする。なかった人は、これから体験して「自信のカケラ」を集めていく。

そしてこのイメージこそ、どん底から這い上がるための足の蹴り上げ方、斜面の這い上がり方のトレーニングになるはずです。(『どん底からの成功法則』堀之内九一郎 サンマーク出版p26-27)

堀之内さんは最初に始めた「生活倉庫」はわずか15坪の店舗。拾ってきた石油ストーブを必死に磨いてピンク色のストーブに仕上げました。これが最初に売れ、その後どんどん店は成長していくようになったのです。

いつか自分を助けてくれるかもしれない「自信のカケラ」。集めてみませんか?

2010年11月 3日 (水)

028 『奇跡の夢ノート』石黒さんの分刻みの高校生活

『奇跡の夢ノート』という本で、石黒さんのことを初めて知った。北京オリンピックシンクロ日本代表になった人である。石黒さんのことを伝えた朝日新聞の記事はこちら(「顔面540針、後遺症抱えても笑顔の舞 シンクロ石黒」)をご覧ください。

事故に遭ったのは名古屋市内の小学2年だった91年10月3日。止まっていた母和美さん(52)の車に、暴走車が突っ込んできた。「由美子は血が流れて気を失った。救急車も受け入れ先をすぐ見つけられず、どうなることかと思った」と和美さん。石黒は手足を骨折し、顔面を540針縫った。

リハビリを兼ねて翌92年にシンクロを始めた。女優宮沢りえさん主演のシンクロのドラマを繰り返し見た。アキレス腱(けん)を切ってバレリーナの夢を断念し、シンクロに懸命に励む主人公の姿に自分を重ねた。

顔面まひ、網膜剥離(はくり)、難聴……。みんなのように体が動かないので、離れたところでぽつんと練習していた。
母にも忘れられない思いがある。娘の小学校に授業参観に訪れた時だ。
「おーい、フランケン」

娘をこう呼んだ同級生に詰め寄ろうと思った瞬間、「なーに」と娘は明るく答えた。「本当に強くて明るくて素直な子。事故の恨み言も一切言わない。元気なのが救いだった」と母は振り返る。石黒は壮行会など人前に出る時は、今も笑みを絶やさない。 (上記「朝日新聞」のサイトから引用)

『奇跡の夢ノート』の中には、君たちに読んでほしいことがいくつも書かれている。今日は、大学進学を目指していた高校生活の一端が書かれている部分を紹介する。石黒さんが目指していた大学の推薦基準は通知表の評定の平均が「4.3」以上というものだった。

さすがに学校の授業を真面目に聞いているだけで、それ(通知表平均4.3以上)を実現するのは難しいと考え、家での勉強を始めたのである。

高校時代は新聞配達のアルバイトもしていたので、勉強時間を確保するため、私のスケジュールは分刻みだった。

学校が終わった足でシンクロに通い、夕方5時から8時まで練習し、9時ごろ帰宅。食事後、部屋で腹筋、背筋、腕立て伏せなどの陸上トレーニングをし、そのまま机に向かうのは体力的にきついので、お風呂に入って11時ごろに一度寝て、夜中の3時に起きて授業の予習・復習。明るくなる前に自分の新聞を自転車で配ってまわり、7時半には高校に向かうという繰り返し。土日は1日10時間、シンクロの練習漬け。夏休みは朝5時からスイミングスクールで水泳の自主練習もした。(『奇跡の夢ノート』石黒 由美子 NHK出版)

睡眠時間4時間である。今自分がハードな生活をしていると思っていても、石黒さんのこの分刻みのスケジュールを見ると、自分のやっていることなんかたいしたことないと思えてくる。

2010年11月 2日 (火)

027 君は3ヶ月の我慢ができるか?

自転車に初めて一人で乗れた日のことを思い出してほしい。

お家の方に連れられて空き地で自転車に乗る練習をした(かな?)。何度も転んで、すり傷を作りながら泣き泣き練習をした人もいるだろう。

その時の君の自転車の上達はどんな感じだっただろうか?

「今日は一人で3m乗れたよ。昨日は2mだけだったのにね。じゃあ、明日は4m乗れるね。」という具合にはならなかったでしょう?

ある日、いきなり自転車に乗れる瞬間がやってきた。そして、その日は夢中になって自転車に乗り続けていたのではないか。

上達はある日突然にやってくるのだ。

陸上競技に砲丸投げという種目がある。(私は長らく選手をやっていました。)

重たい砲丸を投げるのだが、毎日毎日投げていても記録は前の日と同じ。こんな日をずっと繰り返す。我慢して毎日トレーニングしていたら、ある日突然記録がドン!と伸びる。この繰り返しだった。

運動関係だけではない。勉強でもそうだ。よく聞く例が、英語の聞き取り。

本格的に英語を勉強している人がよく言うことだが、最初は外人が普通にしゃべっている英語が何のことやら、さっぱり分からないのだが、我慢して学習を続けていると、ある日突然、英語を意味のある言葉として聞き取っている自分に気がつくというのである。それが3ヶ月が経とうとするころであるそうだ。

僕たちの学校の勉強も同じ。

さあ、3年生になったことだし・・・と思って始めた受験勉強。でも、なかなか目に見える効果が出てこない。順位も上がらない・・。いったいいつになったら成績が上がるのか・・・。

本当に一生懸命勉強を始めて、目に見えて成績が上がり始めるのは、どれくらい日数がたった後だと思う?

私のこれまでの教員生活の経験や、読んだ本から総合的に判断すると、答は90日から100日を過ぎてから。つまり3ヶ月後。

ということは、6月から本当に真剣になって勉強を始めたとすると、夏休み明けのテストで成果が出始めるということになる。

どんなことにも、取り組んだ以上は3ヶ月後の成果が出るまではがんばってみないともったいない。

2010年11月 1日 (月)

026 毎日1円ずつ貯金すると・・・

『夢に日付を! ~夢実現の手帳術~』(渡邊美樹 著)の中に出てくる話から、次のような話を考えた。

計算しないで、瞬間的にカンで答えてほしい。

君が生まれてから、毎日一円ずつ貯金するとしよう。今日、2010年の11月1日に14歳の誕生日を迎えたA君の貯金はいくらになったと思う?
 
答は5113円。
 
では、これから先、君の一生全体では何円くらいたまると思う?
 
だいたい今、日本人の平均寿命は男で78 歳、女で86 歳だって。だから平均して82 歳にしようか。たまる一円玉の数は、82年×365 日=2万9930円。
 
私は意外と少ないなーと思った。

この話、こう考えることもできる。約3万枚の一円玉が入ったビンがある。一日過ぎるごとに、そのビンの中の一円玉が落ちるんだ。

で、全部なくなったら一生が終わり。
だけど、あるルールがある。

ビンの中の3万枚の一円玉の中に、一枚だけ金色の一円玉が入っているんだ。
その一円玉がビンから落ちると、他の一円玉が全部、ザザーっと落ちてしまうんだ。

つまり、金色の一円玉は、「死」を意味するんだね。

いつ金色の一円玉が出てくるかは、だれもわからない。ひょっとしたら、こうやって話をしている僕の金色の一円玉は、ビンの入り口近くにきているかもしれない。

実は、僕が高校生のとき、ある先生がこれに似た話をしてくれたけど、当時の僕にはぜんぜんピンこなかった。君たちもそうかもしれない。でも、今は「そうだなあ」と実感する。
 
一日一円ずつ貯金しても、人生で3万円ぐらいにしかならないってことは、計算すれば分かることとはいえ、意外に少ないなーと思える。

そう考えると、今日一日が大切に思える。

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