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2010年11月 6日 (土)

031 「私が身代わりになって死刑を受けます」

今となっては、何という先生か分からない。ある先生がどこかの中学校で「いじめ」について講演された時の記録が私の手元にある。

その先生が、アウシュビッツのユダヤ人迫害について触れ、次のように話をした(記録から)。

強制収容所で、あるユダヤ人の男性が、収容所の管理者に逆らったことで処刑されることになりました。ところがその横にいたカトリックの神父が、自分がその人に代わって死刑になると言ったんです。「その人は奥さんもいるし、子供もいるから生きていなければいけない。私は独り者だから、代わりに死にます」と言ってゆうゆうとした態度で死ぬまで一滴の水も与えられないという最も苦しい死刑になったんだそうです。(講演会の記録から・講師名不明)

このことを初めて知ったときには驚いた。身代わりという言葉はよく使うけれど、本当に命の身代わりを自分から申し出る人がいたんだ。

自分の肉親の身代わりをしたのではない。赤の他人の身代わりになったのである。

この人の名前はコルベ神父という。カトリック教会のホームページを見ると、日本の長崎で布教活動をしていたこともあることがわかった。他人の身代わりになったときのことが次のように書かれている。

元来体の弱いコルベ神父は決められた強制労働にも従事し、また収容者たちの相談役としてまた収容所内で死者がでるとお祈りを捧げ、人々に希望を与え続ける存在でした。ある日のこと厳しい収容所生活から脱走をした囚人が居ました。収容所内の規則で1人の脱走者が出ると残った者の中から10人の死刑を執行するとの決まりがありました。収容所内で無作為に10人が選ばれ死刑の中でも最も悲惨な刑、餓死刑が宣告されました。

コルベ神父は幸いその10人の中には選ばれて居ませんでした。餓死刑を宣告された10人の罪のない囚人が地下の餓死室へ歩き出したその時、列の後方に居た1人の男が叫びました「私には妻も子供も居る!死ぬのは嫌だ!」その時ある男が身代わりに死ぬ事を申し出たのです。コルベ神父でした。

地下の餓死室に全裸で入れられた10人は1滴の水さえ与えられる事無く次々に死んで行きました。14日後最後まで生き残ったコルベ神父は毒薬の注射を受け亡くなりました。そのときのコルベ神父はまるで死ぬことを喜んで望むような穏やかな表情で自ら腕を差し出し、注射を受けたと、当時の担当者が証言しています。(「森の教会 カトリックってなあに?」(http://www12.ocn.ne.jp/~orchid/KyoukaiTOP.html から転載)

とてもこの人のような行動は取れない。しかし、本当にこういう人も実在したのだと知ると、ほんの少しではあるが、自分のこれからの行動に勇気が得られる。そう思いませんか?

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